横浜に帰って心機一転、日記もガンガン書こうと思う。
まず、生きるに能う、という言葉を逆にしてみる。ほら。というわけで大谷能生という名前について、出来るだけわかりやすく解説していきたい。
第一回目の今日は、「大谷能生の作り方」について話していきたいと思う。能生というキャラクターの設立は、その設立を企図した嫁が中心となって実行されるであろう。現行の能生では発起人は一人であってもよいとされているが、通常は八音平均律音階の調性確立を目的とする数名のものが集まってその共同作業によってなにかの蔓を桟に絡ませるのが美しいとされている。
と、ここまで書いてきたら細かい結界のサインの影響がまだ続いているの偏頭痛が。閑話休題。こないだから美学校の講師をしているんですが、生徒の中に沢尻エリカクンに似た激マブ娘がいるんですよ。名前は美紀ちゃん。先日ワゴン・クライストのTシャツを着ていったら、その娘が「あ、先生もテクノとか聴くんですか」と話しかけてきて、「ルークってさー」とか言いながら無造作に私のシャツを叩きまくってきたので恐怖を感じて教室から退出。その後気を取り直して美学校の喫煙室で彼女と音楽談義しました。「4ADだったらDead Can DanceとWolfgang Pressが好きでしたね。それにしても23エンヴェロップのデザインは良かったですよね。23のカレンダー欲しかったんですよ。ジスモータルコイルもいいですよね。エコバニはねぇ、Korova時代もいいですが、ってもオーシャンレインまでかな、Zooが好きなんですよ。Someone Stole My WheelsとThere Must Be A Better Lifeしか聴いたことないですけど、こんないい曲書けるのはラバーソウル時代のビートルズとヴィレッジグリーン時代のキンクスぐらいのものなんです。でもってやっぱり赤、黄、ペンギンときて1stときたライド衝撃は今でも忘れらません」などと一人で喋りまくった後に、「ほんとにあの頃のマイブラやライドやローゼズやシャーラタンズやペイルセインツは輝いてましたね、先生」と言って去っていった。
そんな事もあり彼女と親しくなり、部屋に遊びに行ったのだが、その部屋はコロコロコミックとコミックボンボンが創刊号から全て山積みにされ、残りのスペースにアナログシンセと12インチの山が築かれていた。彼女は作曲もしているらしく、少し聴かせてもらったのだが、クソみたいなガバでした。