サイトBK1 2001年?

●bk1 『日本フリージャズ史』 副島輝人インタビュー

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現在から遡ること40年ほどの昔、世界各地で高まっていた政治的運動の波を受けて、日本においてもさまざまな分野で変革を求める動きが激しく燃え上がっ ていた時代があった。寺山修司による『天井桟敷』、唐十郎による『状況劇場』、赤瀬川原平らによるハプニングス、土方巽によるまったくあたらしい舞踏の創 出……。既存の価値観にとらわれない表現が噴出した一九六〇年代、アメリカン・カルチャーの影響をもっとも強く受けながら成立していた「ジャズ」という ジャンルの中からも、自分達の真のオリジナリティを求めて、未知の領域へと果敢に踏み出してゆくミュージシャンたちが現われ始めた。日本におけるフリー ジャズとは、そのような真に個人的な(そしてそれは結局、戦後の日本文化を真に引き受けたものであるはずなのだが)サウンドを探求してきたミュージシャン たちによって作られてきた、ということが、副島輝人氏の『日本フリージャズ史』にははっきりと記されてある。フリージャズ黎明期からつねに演奏の現場に 立ってシーンを育ててきた氏の筆によって活写されているジャズメンたちの活動とその不敵な面魂は、その場に立ち会うことが叶わなかった人間にとっても本当 に魅力的なものだ。現在でも世界中を飛び回りながらジャズの現場で活躍を続けている副島氏に、この本をまとめるまでのお話などをお伺いした。
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……副島先生は1931年のお生まれということですが、フリージャズに傾倒するまでの音楽遍歴を多少お伺いしたく存じます。まずはじめは、いわゆるモダン・ジャズをお聴きになっていらっしゃったんでしょうか。

副島:「終戦の時に14歳だから、僕は戦中派、というか敗戦焼跡派ですね(笑)。戦後すぐはね、ご存知でしょうけれども、アメリカから来る音楽はだいたい みんなジャズって名前で呼ばれてたんですね。実際はジャズ・ソング、甘味の強いジャズ風の小唄が多くて、また一方ではカウント・ベイシーやエリントンも あったから、いま思うとそういうものを全部ひっくるめてジャズって呼んでいたわけです。僕もラジオから流れてくるそういった音楽をよく聴いていました。 で、ところがね、一九五〇年代にはコーヒー文化、喫茶店文化というものがありまして、銀座を中心にして有名な喫茶店が何軒かあって、そこに文人論客たちが 集まって、ある人は新聞を読んでる、ある人は原稿を書いている、ある人は議論を交わしている、そういった状況があった訳ですね。僕もその頃は映画の批評を やろうと思っていたから、映画会社でプログラム・パンフレットを作って映画館に配る仕事をする傍らそういった喫茶店に出入りしていたんですよ。そういった 喫茶店の中に、ジャズのLPを専門にかけるいわゆるジャズ喫茶もありまして、そうしてある時、有楽町の駅前に出来たあたらしい小さなジャズ喫茶店に入りま したら、異様な音楽が耳にガーンと入ってきた。これはなんだ? って。とにかく、ラジオでいままで聴いていたような音楽とは全然違うんです。それがモダ ン・ジャズとの出会いでした。なにがその時かかっていたのかは今でも覚えていまして、ジェリー・マリガンとチェット・ベイカーのカルテットなんです (笑)。それを聴いて、その次にバド・パウエルがかかって、その次がホレス・シルバーだったんですが、その時はもう何がなんだか分からないくらい興奮し て、混乱してしまったんですが、分からないなりにこの名前は覚えておかなくちゃって必死に覚えたんでしょうね。これはただ事ではないって、そのあと帰って 同僚なんかに、おまえ凄い音楽があるぞって吹いて、そのあとは毎日入り浸りですよ(笑)。その頃はLPは高くて、ラジオではかからないようなそういった当 時の大前衛はジャズ喫茶に行かなければ聴くことが出来なかった。アメリカからの文化的窓口、蛇口の役割をジャズ喫茶が果たしていたわけです。そうした点が いまとは随分と異なっているところですが、そうやってどんどん聴いていくうちにジャズの魅力がどんどん分かってきて……そのまま自然に前衛を追いかけて いって、フリージャズにのめりこんでいった、という感じですね。」

……なるほど。そうしてその後、60年代の後半からフリージャズの現場で批評やプロデュースなどの活躍をされる訳ですが、副島先生が関わったそうしたムーブメントをこのように本としてまとめるという企画はいつごろから出ていたのでしょうか。

副島:「二年くらい前からですかね。実はこの本を書く前に、他の出版社さんからの話で『日本のジャズ史』をまとめてみないかと依頼されたことがあったんで す。それでその企画もすこし進めたんですけど、僕はどうしても現場派だから、やっぱり自分で見ている話を書きたいんですよ。戦後直ぐなんてもの凄い面白い 話が一杯あるんですけど、自分で見ていないことはどうしても書きにくくて……。それで、その話は一端取り下げて貰ったんですが、そうしたところ、今度はフ リージャズの話を書いて欲しいという依頼がありまして。まあ、結果的にフリージャズだけでもこんなヴォリュームになってしまいましたので(笑)、分けてよ かったのかもしれませんね。」

……フリージャズという音楽に興味を持ったとしても、いままでは資料がまとめられていなかったり、音源が少なかったりと、なかなか取り掛かるきっかけが掴 めなかった人が多かったのではないかと思います。このように歴史的にきちんとまとめていただいた事で、これからようやっと「日本のフリージャズ」とはなん だったのか、と皆でその特質や成果を考え始めることが出来るようになったのでは、と思います。

副島:「そうですね。あのー、でも、後書きでもちらっと書いたんですが、僕はいま現在起きていることに、いまでも一番関心があるんですね。昔のことよりも いま目の前で起きていることの方がよっぽど面白い。いまこういうことが起きている、だから、明日はこういうことが起こるかもしれない、そういうことに興味 を持ったままずっと来ている訳で、だから最初はこんな本を書いて「フリージャズ」を歴史としてまとめてしまうことにはちょっと抵抗があったんです。ただ ね、最近海外でも日本のこういったシーンに興味を持って研究をはじめている人が出てきて、それはいいことだと勿論思うんだけど、日本にちらっと来て適当に 何人かにインタビューして、それであっち帰って歴史的に間違った論文を書かれたらどうします? って編集者の人に言われたんですね。そりゃ困るよ、って答 えたら、じゃあ副島さんがこのあたりできちんとまとめておかなくてはなりませんね、って痛いところをつかれまして(笑)。それで書くことに決めたんです が、それと、いままでに書かれてこなかった、記事として取り上げられることの比較的少なかったミュージシャンのことを出来るだけきちんと文章にして起きた かったという動機がありました。代表的な音源すら今では手に入らなかったり、そもそもレコードに収まりきらない表現を行って日本のフリー・ジャズを活発に してきたミュージシャンたちもたくさんいる訳で、そうした人たちを過去の霧の彼方に消えさせてしまうわけにはいかないだろう、と。そういったバランス感覚 のなかでこの本はまとめられていますね。」

……この本のなかには、戦後の日本で音楽活動を行うとはどういうことなのか、といった根源的な疑問からジャズへ取り組んだ人たちの姿がとても生き生きと描 かれているように思います。また、フリージャズと一口にいっても、各ミュージシャンがやっていることは随分と異なっている訳で、このようにして歴史の中に 描かれた後にようやっと各人の音楽性を考えることが出来る、そうした研究のきっかけが『日本フリージャズ史』によってようやっと用意されたのではないか、 と思います。

副島:「じゃあ、この本を書いたかいがありましたね。現在ではジャズにおいても、個々人の表現と云うことで、演奏のなかにフリージャズ風のところがあった り、それ以前のモダンなサウンドがあったりとか、一曲のなかでもさまざまな姿を見せる演奏も多いですよね。そういう意味では昔の、きっちりセクトというか 区分があったころのフリージャズというのはもう通過されてしまっていると思う。でも、そういったものがどこに出生を持つのか、ということを考えるのは、そ ういった表現がこれからどこへ行くのか、ということを捕える際に重要になってくることだと思います。この本は歴史の本ですけれど、いま行われている音楽に 幾らかでも反響を与えることができたら素晴らしいことですね。」
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