堀江敏幸さんは木山捷平文学賞と谷崎潤一郎賞も受賞してた。つまり名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王を取ったことがあって、王将戦の挑戦者にも何度かなっている、ということだ。凄い。
大島輝之「into the black」のライナーです。これ読んで興味を持った方は是非、アルバムを実際に聴いてみてください。
大島輝之 「into the black」ライナー
2005年の春に、僕はEWE/BodyElectric Recordsから初のプロデュース作品、『Le son sauvage / Tokyo Nest Texture』をリリースさせてもらった。これは、「2001年以降に現れた、あたらしい音楽的潮流」を体現しているバンドを集めたコンピレーションであり、(その「潮流」とは一体どんなものなのか、ということについては、是非、実際にアルバムを聴いて確認してもらいたいところなのだが)東京のオルタネィティヴ/インディペンデントなバンド・サウンドの持つ可能性の拡がりを一挙に見ることが出来る、画期的なものに仕上がったと自負してる。参加してくれたミュージシャン/グループはみな現在でも現役バリバリで活躍中であり、この一年の間にsim、Dill、飛頭、Ryusenkei-Bodyがアルバムを発表し、また、GnuとDillはこのBodyElectric Recordsからさらに今冬作品のリリースを予定しているという。どのバンドの作品も素晴らしい出来映えであり、今後も実に楽しみなのだが、ここにまた一作、sim/Circuit Unconnectionのリーダーである大島輝之のソロ・アルバムが完成し、レーベルのカタログは更なる充実を見せることになった。
大島輝之は1971年生まれ。89年よりギターを始め、ロックバンドやテクノユニットなどでの活動を経て、95年頃から即興演奏のシーンで演奏を行うようになり、進揚一郎(ds、per /現在はoptrumなどのバンドで活躍中)、DJ Peaky(tt / ソロの他、現在はsangatu,zuppa de pescaなどに参加)とともに「経堂即興楽団」を結成。その頃、緩やかにではあるが確実に変化が始まっていた東京のインプロヴィゼーション・ミュージックの現場において多くのミュージシャンと競演を重ね、実験的な演奏を試みてゆく。大島のライブ履歴を参照しながら、この時期の共演者を辿ってゆくと、内橋和久、沢田穣治、大友良英(まだ始まったばかりであったfilamentとの企画などもある)、山本精一といったひと世代上に当たるミュージシャンから、宇波拓、吉田アミ、ユタカワサキといった「1976年」組、名古屋の臼井康浩、鈴木茂流、また、フリー・ジャズ的なパワープレイも得意とする松本健一やつの犬、それに藤原大輔や沼直也といったクラブ/グルーヴ・ミュージックを主戦場とするミュージシャンまで、実に幅広い面子が並んでおり、驚かされる。さまざまなタイプの音楽家と共同で作業をすることが出来る、という事が、インプロヴィゼーション・ミュージックの最大の特徴であるとはいえ、90年代の後半に存在した一種の混沌とした状況、あらたなサウンドが固まり始める直前のシームレスなライブ・シーンの雰囲気が(sim-lessという駄洒落ではないのだが)、大島の演奏履歴にははっきりと刻まれているように思う。
自分の企画を中心にして独立独歩で即興演奏を続けてきた大島は、2001年にリーダー・バンド「feep」を結成。このバンドには僕も参加しているのだが、「各楽器間の異次元アンサンブル。音の隙間と密度を追求」しながらも、沼直也(ds)、Fukuda Ryo(b)というハード・グルーヴィンなリズム・ユニットと、ハウス以降のアンビエントな音空間にフィットするBucci(tp)のトランペット・サウンドが重なり合うことによって、アルバム『The Great Curve』(mao)ではアブストラクトかつリズミカルな音像を、既存のジャズ・バンド的なテクスチャーの中から立ち上げることに成功している。
この時期、彼は僕の質問に答えて、「個人個人はわりとオーソドックスな感じなんだけど、いろいろと組み合わせで面白いことが出来ないかなぁ、という感じで・・・無関係なようにみえて、ほんとは無関係でないっていう。」と述べている。それまでの大島のギター・プレイは、エレクトリック・ギターとエフェクターをほぼ等価に扱い、弦の音を電子回路の中で分離・増幅・反復させ、それによってもともとの音に含まれていた複数の速度を顕在化し、そのずれから新たな音楽構造を見出してゆく、そのような作業が中心だったように思う。Feepというバンドは、エレクトリックな即興演奏の環境で得られたこうしたあたらしい速度の感覚を、再び手の中に、「ギター」という楽器を弾く自分の指先の上にダイレクトにつなぎ合わせること、そしてまた、そこで実現されているズレの感覚をステージ全体にまで広げ、共演者同士が自発的に、リアル・タイムで異なった関係を取り続け、それによってさらに幾つもの異なった時間が折り重ねられてゆく、そのようなサウンドを目指していた。そして大島は、こうしたコンセプトをさらに厳密に追求するために、2003年から自ら音楽におけるすべてのパートを書き下ろし、自分がギターから手に入れた歪みと軋みをバンドによってさらに正確にリアライズする、という試みに向かう。そのプロジェクトがsimである。
アルバム『sim』(weather)に収められた各楽曲は、彼が90年代に試みていた即興演奏の時間の感覚を、一曲ごとにあらためて辿りなおし、磨き上げ、固定化させることで作られたものである。ぎくしゃくと不安定なままで結晶となっているそれらの曲に、僕は、幾つもの時間/空間を跨ぎながら生活してゆく僕たちの日常の基本的なリズム感覚、きわめて現代的な速度のあり方を強く感じている。こういった曲を、バンドの一員として、植村昌弘(ds)とともにステージで力動化する作業に参加できているのは、僕の最大の喜びである。
さて、ここに届けられた大島輝之の1stソロ・アルバム、『into the black』。現在、僕は6度目か7度目かのリピートに入りながらこのライナーを書いているのだが、ともかく、まずは参加しているミュージシャンたちの、それぞれの特徴的な音色に耳がそばだたせられる。アルバムのコアとなっている、守屋拓之のコントラバスと、植村昌弘、芳垣安洋、それプラス曲によってはイトケン、というリズム・ユニットのシャープさ。このユニットの優秀さは特に4曲目と5曲目において明らかだろう。LRが微妙にずらされているこのリズム・パターンは、その処理の精密さから考えて、ポスト・プロダクション以前にその音の像が完全に見えていた、つまり、作曲段階から仕込まれていたものだろう。ただ単に「自由にやる」だけでは絶対にこうしたアンサンブルにはならないし、こういったスピードを得ることも出来ない。このようなリズムの上に、松本健一、藤原大輔 、後関好宏 、吉田隆一、大蔵雅彦(4曲目におけるバス・クラリネットの絶叫!)という当代切っての名手が揃ったホーン陣が重ねられる。それぞれ際立った個性を持つこのミュージシャンたちが並ぶことによって、サウンドのテクスチャーは静謐な曲においても、一種異様な熱をはらんだものになっている。長い間競演を続けてきた彼らの音色を大島は完全に把握しており、おそらく大島の頭の中には、曲作りの段階からはっきりとこのホーン隊の熱気が渦巻いていたのではないだろうか。Feepとsimによって試みられてきたテクスチャーとストラクチャーの止揚という難問は、音色まで正確にイマジネーションできるPC環境を応用した最新のデモ作りによって、相当なレヴェルで解決を見ているように僕には思う。Tuki-No-WaのFuminosukeによるヴォーカルの存在感も、このアルバムの大きな特徴だろう。
即興演奏によって得ることの出来る音楽的成果を十分に咀嚼しながら、大島輝之は、このアルバムによって、後の規範にも成りえるようなバンド・アンサンブルのあり方を見事に実現して見せている。即興演奏というものが、規範からの際限の無い逸脱によってその生命力を維持するものならば、この見事なエレクトロ・アコースティック・バンド・サウンドから、今度もまた新たな速度を持った「インプロヴィゼーション」が導き出されてゆくことだろう。それだけのポテンシャルがこのアルバムには含まれている。
ここに収められた楽曲の中に、繊細に差し挟まれている異なった時間/空間の接続を十分に意識しながら、それを頭の中で、あるいはキーをパンチする、あるいは楽器を触るあなたの指先の上で、さらにはステージの上で、どんどん実際に自分なりのやりかたでもってつなげ、または切り裂き、あらたな想像力を広げてみて欲しい。