12月8日

はっと気がつくと一ヶ月経っていたというこの感じはなんでしょうか。しかもそれを母親から携帯メールで知らされる始末。「前略。そろそろ朝顔日記を更新したらいかがでしょうか。ところで弟夫妻が第一子懐妊だそうです。たまには様子を見に遊びにいってあげてください。草々。」
そんな重要なこと「日記更新のついで」みたいな感じで教えないでください。めでたい。こちらも色々とありましたよ。11月-12月前半は、えーと、ライブ6本やって原稿5本仕上げました。ヴェルファーレとかバック・バンドの仕事で出たよ! メイン・フロアのミラーボールがマジでかかった。落ちてきたら下の人絶対全滅するくらい。巨大ミラーボールが落下して死傷者が出たのってどのディスコだったっけ。パラディウム? (気になったのでググってみたけどヒットしませんね。最近は南米でディスコ事故が多発してる模様。)
佐々木さんみたいにどんどん終わった仕事書いちゃえ。次号のイントキシケイト、巻頭位置でジョルジュ・リゲティの4CDBOXとカヒミ・カリイ「NUNKI」について計4000字書いてます。タイトルは「二つの支持体が。」
12月12日公開の「AA」(青山真治監督)に合わせて発売される間章入門書、『間章クロニクル』で青山監督インタビュー&構成と、「間章が批評したディスクを今の耳で聴いて、改めて批評を書く」という実に難儀な仕事をしました。10枚くらい対象ディスクを編集の方で好きに選んでもらって、それについての間の文章を引用しました。極北が。家の居間に。
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・アルバート・アイラー 『グリニッジ・ヴィレッジのアルバート・アイラー』

『彼が「四月の思い出」や「サマータイム」を演奏する時、それはコルトレーンやアーチー・シェップのようにメロディやテーマの破壊・異化作業としてそれを演奏するのではなくすでに<新しく別な何か>として演奏している。メロディ殺し、テーマ殺しは行われているがそれは演奏という破壊作業過程によってである以上に、あらかじめ殺されて転形・転身したものとして現れる。』(「アルバート・アイラー論ノート〔1〕」)

間章にとって、「新しく別な何か」と呼ばれるようなものは、これから人間が得る自由へのあたらしい可能性といったものでは全くなく、常に「不能」であるもの、人間的可能性のまったく立ち上がらない、何も燃やすことの出来ない青白い炎のようなものが、しかし人間の姿を取って現れるという、そういった矛盾したイメージによって語られるものであったように思われる。フリー・ジャズとは、間にとって、すべてのものが等しく動きを止めるそういった場所への直観を、世界の中でリアリゼーションする場所として存在したが、しかし、実際のフリー・ジャズ・ムーヴメントは60年代におけるアメリカン・ブラック・ミュージックの理論的/実践的解放の軌跡という限定された論点を外しては精査することが出来ず、この具体と抽象との間の距離が、間章の「フリー・ジャズ」論が錯綜を極めているひとつの原因であるように僕は思う。特に、全面的な生の肯定者であり、圧倒的な多産者であるアルバート・アイラーを自身の領域に引き入れるために彼が取るレトリックは、殆どレトリックの体を成していないという点も含めて、間章の資質をはっきりと照射したものであるだろう。ヴァイオリン、チェロ、ベースによるアンサンブルがアイラーのヴァイブレーションを受けてうねるこのアルバムのサウンドは、60年代フリー・ジャズにおけるグループ・アンサンブルの最高の成果だ。
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あとミルフォードとかレイシーとか、阿部薫とかヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかザビヌル・シンジケートとかセニョール・ココナッツとかベース・ボール・ベアーズとかクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーとか水中、それは苦しいについて書いてますので興味のある方は書店で見てください。すいません途中から嘘です。
あとなんだっけ。そうそう、大島輝之待望の1stソロ・アルバム『Into the Black』と、吉村光弘のこれも1stアルバム『And So On.』にライナーを書きました。
で、エスクァィアweb site「持ってゆくうた 置いてゆくうた 第二回目/ボリス・ヴィアン」も更新されてます。レクチャーでプレイした「Chloe」ですが、また調べているうちにどうやらガス・カーンが作詞を担当しているような? 情報を発見。ということはやっぱスタンダードでいいのかしらん。どうでもいいけど「ガス・カーン」っていい名前ですよね。
エスクァィア絡みではもう一つニュースがあって、来年1月に、web連載記念ご祝儀新春公開放談があります。文学と音楽についてたっぷりとダベりましょう。次号エスクァィア本誌で20名読者招待券がプレゼントが出るらしいですぞ。
もう一本あった! 古い知人のコロさんに頼まれて、『このマンガがすごい! オトコ版』にアンケートと、『闇金ウシジマ君』の紹介をちょこっと書いています。
一月貯めると流石にいろいろ書くことがあるな。一番大きなのはこれ。12月13日に大谷の1stソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』が発売されます。堀江敏幸さん(芥川賞、川端康成文学賞、三島由紀夫賞、読売文学賞の4冠作家ですよ。羽生善治並みである)の小説、『河岸忘日抄』の第二章部分を朗読し、音を付けた40分1トラックの作品です。下にデータを。
きわめて真摯に、こつこつ真面目に作ったのですが、すべて終わって改めて聴きなおしてみると、これは佳作とか傑作とかじゃなくて、なんというか、「珍盤」という括りに入ってしまうもののような気が・・・。十年後の「奇盤・珍盤二〇選」入り目標。まあ、堀江さんには喜んで頂けたみたいなので良かった。
12月のライブの告知はまた明日。新しいプロジェクトはじめました。フリー・ジャズ音源のBPMを揃えてグルーヴィーにつなぐD..J=L.PというPCDJ活動です。Dr.Jazz = Logic Pataphysique。djlp (小文字の方が見た目がいいかな)。
年末大阪行きます~。

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大谷能生『「河岸忘日抄」より』

GRAM0PHONE 1 / HEADZ 86
¥ 2,500 (tax incl.) ¥ 2,381 (without tax)
2006.12.13 on sale

音楽批評家としてだけではなく、菊地成孔との共著、simやmas他ミュージシャンとしての活動も目覚ましい大谷能生が初のソロ・アルバムをリリース。
HEADZ内でスタートする言葉(Gram)と音(Phone)のレーベル、GRAM0PHONEの第一弾作品。
ゲストとして、12月にeast worksよりソロ・アルバム『into the black』をリリースするsimの大島輝之、11月にvectors/HEADZよりueno名義でソロ・アルバム『ハスノス』
を発表したばかりの植野隆司(テニスコーツ)が参加。
ミックスはmasのヤマダタツヤが担当している。堀江敏幸の『河岸忘日抄』(新潮社)の大谷自身による朗読に、自ら作・編曲を手掛けたサウンドをミックスさせ、独自の録音作品を完成させた。
文字で書かれたものを、声に出して人前で読む。
そのときに生まれるいろいろな感情を、もうちょっと正確に把握してみたい、
というところから、幾つかの作品を作ってみようと考えました。
書かれた文字の中にはどんな声が含まれているのか。または、含まれていない
のか。
朗読と歌唱はどれだけ、どのように違うのか。
文字を声に出すこと、または、声を文字にすることで、何が失われ、何が生ま
れるのか。
詩を声に出すことは、誰かに唄いかけることではないのか。その誰かとは?
こういったことを、録音=再生メディアの存在が音楽流通の基盤となっている
現在、
つまり、聴き取ることが不能のままでも、たった一度しか存在しなかった声
を、
そのまま反復=記号の領域に刻むことが出来る現在の作品環境において、
あらためて経験してみること。
それによって「言葉」だけでなく、もう一度、「音楽」本体の幹も太くしてゆ
こうとすること。
こうした作業の手がかりとして、現在、日本で、もっとも素晴らしい散文をお
書きになっている堀江敏幸さんの作品をお借りすることが出来たのは、存外の幸
せでした。堀江さんありがとうございます。
雨月物語では、山中、西行の唄いかけに答えて、魔道に墜ちた崇徳院が現われ
ますが、
この作品を聴いてくれた人の暗闇に、少しでもあやしいものかげが動いてくれ
ればいいな、
と思っています。

2006年11月 大谷能生
原作: 堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮社)
朗読、作曲、編曲、演奏、録音、編集: 大谷能生
Additional player: 大島輝之(E. Guitar)from sim、Veno Tagashi(A.Guitar)
from Tenniscorts
Mix: ヤマダタツヤ(mas)
Mastering: 庄司広光(sara disc)
Producer: 大谷能生