Improvised Music From Japan2005

★『futatsu』(w500)

このアルバムの成り立ちについては本誌掲載のインタビューを参照してもらうこととして、早速杉本とラドゥがここで試みていることの分析に入りたい。
ぼくたちは日常、時間を循環するものとして認識している。60分で1時間、24時間で1日、約30日で1カ月、と、さまざまなループによってぼくたちは 予め時間を分節しておき、その中に自分の行為や認識を位置付けてゆく。音楽を聴取する際、ぼくたちは一旦こうした生活の基礎となるリズムからは離れるが、 その代わりとなる循環の単位をいま聴こえているものの中にすかさず探し出そうとする。杉本とラドゥは、このアルバムにおいて、循環を見つけることで時間= 音楽を安全に処理しようとするぼくたちの振る舞いを決定的に拒もうとしている。デジタルに作られた完璧な静寂の中に、杉本とラドゥは「いまここで弾く」、 という意志がはっきりと伝わる明確なトーンで音を配置してゆく。ぼくたちはその音を辿りながら、その前後にある沈黙とともに、何とか曲を構造化するための 繰り返しの単位を見つけようとするが、それはCD一枚の再生が終わるまであらわれることがない。つまり、ぼくたちは70分強の時間を、循環を拒む「いまこ こ」にしかない時間の流れとして経験することになる。この経験から得ることの出来る衝撃はおそろしく大きい。完全即興による一回性の音楽とこれはどのよう に異なるのか、また、微細な反復によって時間をサスペンドするミニマリストたちとどこまで異なっているのか、などさまざまな考えがここから浮かんでくる が、まずはここまで。