掲載誌不明。イントキシケイト?

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就寝のちいさな儀式
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長くにわたって、私は、はやくから床に就いたものだった……。巴里のある娼婦は、このような書き出しからはじまる小説を抱えて、1ヶ月間、高級ホテルのス ウィート・ルームに泊り込み、うとうととベッドの上でそれを読みふける楽しみのために、残りの一年商売に精を出している、という。この話の真偽はわからな いが、これはコルク張りの部屋の中で、強度の喘息に悩みながらその大長編小説を執筆し続けた作者に相応しいエピソードであることは確かだろう。こうした儀 式性とは、ぼくは普段は相当に縁遠い人間であるのだが、ピアニスト・南博の新作『Touches&Velvets (Quiet Dream)』は、深夜ベッドに入り、ようやっとぎりぎり眠ることが出来そうになった瞬間、最後に耳に触れさせておく音楽として、ここ数日間ぼくの寝室に 常備されている。このアルバムを製作したプロデューサー・菊地成孔は常々、「自分の作る作品の機能性に関しては自信がある」と述べており、ぼくは彼とは主 に著述仕事で共同戦線を張っているので、身内褒めみたいになって少し遠慮したいんだが、これは本当に覿面だ。一杯のアンティカ・フォーミュラ、または、極 上の生チョコの一欠片を口にした時に匹敵するような快楽が、部屋の照明を落して、ベッドに横になったまま、一曲目の『B Minor Waltz』(B.Evansの隠れた名曲だ)が再生される度に蘇り、南博のピアノと中島信行のアレンジによるストリングの絡み具合に陶然としているうち に、やがて眠りがやってくる。毎晩繰り返される僅か三〇分の入眠のための儀式は、はじめて2週間ほど経つが、いまのところまだその効果を失っていない。
ジャズという音楽の中には公爵がいて、伯爵がいて、王がいる。これはアメリカが建国当時から王と貴族を持たない初めての国家であったことと裏表の関係に あるのだが、貴族や王族といった階級の特徴は、天皇一家を見ていれば分かると思うが、その極端な儀式性・形式性にある。儀式とは平らに拡がってゆく時間と 空間を分節して、そこに意味を与えてゆく行為であり、生まれること、死ぬこと、食べること、眠ること、こうしたぼくたちの行為のひとつひとつは、それに付 帯させる儀式によって人間的な意味の中に回収されてゆく。特権階級の存在はそうした「意味」を支えるためにあった訳だが、現代に暮らしている人間は、さま ざまな事情により、こうした領域に接触する回路をなかなか開くことが出来ないことが多いようだ。二〇世紀のアメリカに「デューク」や「カウント」があらわ れ、それがみな黒人でジャズ・ミュージシャンであった、という事実は、ぼくたちに、音楽と儀式と社会的階級に関するさまざまな知識を与えてくれる。彼らが 活躍したニュー・ヨークという街は、セントラル・パークで国のために象徴が生活させられている現在のトーキョーよりも、まず間違いなく自分自身で自分の生 活を儀式化・形式化していかなくてはならない場所であっただろう。そうした場所で必要とされる音楽こそがジャズという名前を持った訳だが、菊地成孔と南博 が全面的に手を組んだこの作品、『Touches&Velvets (Quiet Dream)』が、就寝という儀式の重要性を高める為に作られているのは、彼らがこの都市での生活に何が足りないのかを切なくなる程の深さで理解している からに他ならないだろう。是非とも、僅か五曲、三〇分余り(これは1950年代前半、多くのレコード会社が選択した33・3回転/10インチというメディ アのプレイ・タイムだ)の時間の中に織り込まれた、二〇世紀の一〇〇年間が産んだ最高の知恵と技術に耳を傾け、それを所有できる悦びに浸って欲しいと思 う。菊地による膨大なプロダクション・ノートも必読。
菊地成孔率いるデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの新作『Stayin’ Alive / FAME / Pan American Beef Stake Art Federation 2』は、DCPRGの新しい目玉である絶妙に不響和なホーン・アレンジによって、ラヴとセックスの為のダンス・クラシックス(『Stayin’ Alive』 )と、ギラギラ光るニュー・ウェーヴ・ディスコ(『FAME』)を苦く取り込んだ、バンドの実力を示す一枚。『PABSAF2』(と略すよ)は、静かで幸 福な夢を見るためには、黒いユーモアに充たされたこの悪夢のような日常を乗り越えなくちゃね、とでもいうかのような、不条理感覚溢れたコラージュ作品であ る。ぼくはまだ聴いていないのだけれど、『デギュスタシオン・ア・ジャズ』のコースを変更し、お値段も少しだけ割安にして、曲間をもうすこしゆったりとっ て食事とワインを楽しめるようにした『デギュスタシオン・ア・ジャズ・オタンティーク/ブリュ』も、こうしたぼくたちの日常に対して、実に象徴的かつ機能 的に働きかけるサウンドになっているのは間違いないだろう。