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BOOKコラム 大谷能生
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“文房具を買いに” 片岡義男 (東京書籍)
片岡義男という作家について、ぼくは1998年に出版された『音楽を聴く』(東京書籍)という本を読むまで、何も知らなかったと言っていい。いや、もち ろんその名前は、80年代の前半に突然(と当時は感じた)書店の棚にずらっと並びはじめた角川文庫の赤い背表紙とともに記憶していたし、『メイン・テー マ』や『ボビーに首ったけ』といった映画の原作、ということで、家においてあった短編集を何冊かは読んでいるはずだ。バイクやサーフィンをモチーフにし た、センテンスの短い会話が多用される恋愛小説、という感想をその時ぼくは持ったはずで、つまり、インドア志向の中学生だった当事の自分とは関係ない世界 を描く作家、ってことで、その後彼の本を手に取る事はなくなった。そして、それから20年近くたち、仕事の関係で偶々読むことになった『音楽を聴く』の面 白さに、ああこの人はこういう作家だったのだな、と蒙を啓かれた訳なのだった。『音楽を聴く』、その続編の『音楽を聴く2』、また、ヴィデオを見てひたす らその画面の推移を描写してゆく『映画を書く』(文藝春秋)など、90年代後半に片岡義男がまとめた幾つかのエッセイ集の特徴は、いま手元にあって見えて いるもの、聴こえているものを、出来るだけ正確に語ってゆこうとする、その律儀なまでの描写のスタイルにある。例えば彼はグレン・ミラーの作った音楽につ いて、『グレン・ミラー ア・メモリアル』というCDを手がかりにしながら、そのCDはどのようにまとめられたのか、グレン・ミラーが活躍した時代はいつ か、そしてそれはどういった時代だったのか、戦後自分が『グレン・ミラー物語』という映画を見たときどうだったのか、といったように、それを成り立たせて いる物事の全領域にむかって漸次的に筆を進めていく。カヴァーする領域が大きければそれだけ積み重ねられる文章は多くなり、音楽を聴いている現在から近過 去、遠過去と時間を何度も往復しながら、データと分析が記されてゆく。当然、簡単な結論など出やしないが、こうした書き方は、現在の時間に過去が重ねられ てゆく「音楽」の体験を描写するのに相応しいものだと思う。
去年の夏に出た『文房具を買いに』は、彼が普段使っている文房具を自分で写真に撮り、その文房具がどういうものであるのか、写真はどのように撮ったの か、について書いた本である。他愛もない、それだけに美しい本で、モールスキンの手帳、ステイプラー、封筒、押しピンなどさまざまな文房具が、それをどの ように見つけて、いまどのように使っており、レンズや陽射しの角度などどういった条件のもとで写真に収めたのか、という文章とともに、見事なカラー写真に 写し取られている。ここでの彼の描写は、書くことに関わる小さなアイテムに徹底して向けられており、掌の中にある自分のお気に入りの物体を定着させる楽し さに彼が熱中している様子が文体そのものから感じられ、微笑ましい。こうした文章が恋愛という物語にどのようなかたちを与えているのか、これからぼくはあ らためて彼の小説を読んでみるつもりだ。