「and so on」ライナー
このCDに収められているのは、2005年から2006年にかけて吉村光弘が行ったライブ演奏の記録である。だが、この記録から彼の「演奏」の痕跡を聴 き取ることは困難だろう。吉村はステージ上で、会場の響きをマイクで拾い、ミキサーで増幅し、手に持ったヘッドフォンから出力するという作業を行う。この サーキットに取り込まれた会場の響きはやがてポジティヴ・フィードバックを起こし、演奏会場は機材の内部で裏返しにされ、結果、いまあなたが聴いている高 周波の連鎖が生まれるという訳だ。吉村がステージで行うのは、この回路のセッティングと、演奏のスタート&エンド・ポイントの決定のみである。この「演 奏」の最中、基本的に彼は何も行わない。もちろん、両手に持ったヘッドフォンの位置関係が動き、それに従って高周波の音像は若干の変化を見せてゆくが、そ れは彼が選択して行うものではなく、審美的な判断はここからまったく抜け落ちている。実際、吉村がステージで自分の作り出している音を積極的に聴いている のかどうか、ということ自体も僕はあやしいと考えている。演奏しながら、しかし、まったく音の推移と結果には無頓着であること。こうしたある種の(矛盾と も微妙に異なった)ディスタンスネスとでも言えるようなものが、吉村の作品の特徴であると思う。
例えば、この演奏は会場に固有の空間性、その場の音の響きの特徴に強く影響されて行われる。だが、しかし、その特殊性は機材の作り出す回路の中で強力に 蒸留された結果、最終的な音響情報はどの場所でもほぼ似たようなものとなってしまう。どこでいつ演奏しても、得られる結果は結局一緒なのだ。だが、しか し、それはやはり演奏されなければ聴かれることはないし、また、聴衆は実際にそれを吉村の演奏として聴く。ある場所、ある時間の中でしか生まれ得なかっ た、しかし、どこでも在り得ただろうサウンド……そしてこのアルバムは、そんな吉村の演奏からそのサウンド部分だけを複製し、どんな場所、どんな時間にお いても再びそれを経験出来るようにしたものであるのだ。
いつ何処で鳴ってもいい、しかし、その場でしか鳴らされることの無かった音を、いつ何処でも好きな場所で聴くことが出来るものにもう一度導くということ。ヘッドフォンで鳴らされた音を、ヘッドフォンで聴くこと。
こうした幾層もの概念の反転に彼の魅力がある。演奏される音はつねに現象に、そして、それと同じだけ強く意味へと向かう。この存在の引き裂かれに触れ続けること。And so on.