12月24日

6時起床。乾布摩擦。庭を掃き、水を撒き、焚火。この順序でやらないといけない。瓢亭の朝粥を模した鰹餡の粥で朝食。頗る体調が良い。史記は殷本紀に突入。暗唱するにつれ、グラマーが未発達な分、高度に発達したシンタックスの魅力に改めて大きな手がかりを得る。11時、前田来。某所の原稿「竹芝桟橋と帝国ホテル」を渡す。天気が良いのでネクタイをしめて前田君を見送りがてら散歩に出る。金文堂で表札用の板を買う。頼まれている表札を失敗してしまって、もう一枚書くつもり。浅草へ出て、並木の薮でお銚子一本、大阪屋でチキンライス。鴬谷まで歩いてしまおうと思い、根岸の横丁に足を踏み入れた。「おや珍しい」。喫茶店の婆さんが言った。花柳界の出らしくお白粉焼けがひどい。
「そんな格好もするんですか」
「たまには背広だって着ますよ…。しかしなんだか静かだね」
「バルブの影響でね」
「バブルでしょう。それに、いつの話ですか」
「なんだか知りませんけど、さっぱりです。客なんか来やしない」
まだ8時前だというのに、町全体が暗い。
「お師匠さん連中が駄目になった」
「駄目のメはメシアンの…ってやつだ。しかしまたどうして」
「どうしてって残業代ってものが無くなったんです」
「……」
「ホワイトカラーエグゼンプションって言うんですか、残業代が出ないそうです」
「ずいぶん勉強したね」
「いや、御手洗さんに聞いたんです」
経団連、恐るべし。
「おとついですか、旦那さん方が七、八人でもって挨拶に来ましてね。もう来られませんからって。お琴やってるのもいれば、お茶の稽古の方もいました。練乳につけたイチゴなんか食えるかって。その旦那さん方がお稽古の帰りに寄ってくれたんです。ああ、バルブの時代は良かった」
「バブルね」
「お師匠さん連中、あがったりです。お師匠さんだけじゃない、角の薬屋ね、精力剤だか強壮剤だか、あんなもんもさっぱり売れなくなっちまった」
「そうか、ユンケルンバでガンバルンバと思っても残業代が出ないんじゃあね」
「ですからね、残業のあとのモツ焼きで一杯もなくなっちまった。この頃のサラリーマン、みんな電車で帰るって、タクシーの運転手なんかも泣きですよ。腹いせにニューファッズのCDなんか窓から放り投げたりして、それで随分捕まったりなんかして」
「俺も電車に乗って早く帰ろうっと」
帰宅して先月引っ越ししたちろみ君の表札と川崎君に依頼された掛軸用の書を書く。調子が出ない。テレフォン・ショッピングで注文した高枝切鋏が届く。「浦安、橋の下の夏」著者校正。9時就寝。