4月3日

マイルス本の刊行スケジュールの調整。どんどんずれ込んでいます・・・。批評単著の方がどうやら先に出そうな気配。夕方から横浜国際ホテルで母、妻、弟、 弟妻、弟妻母と食事会。和やかに爽やかに。弟の仕事先が横浜駅前だということを初めて知った。母方の実家である輪島市の震災について聞く。家自体は大丈夫 だったのだが、併設してあった元工房部分の土壁が全部落ちてしまって、片付けが大変だそうな。地震怖い。

4月2日

Tk君と始めたシュルレアリスム研究会の延長として、フランス音大に留学経験のあるUs君、偶然にも共通の知り合いであったTs君と新宿で待ち合わせて会 合。というかもっぱら飲み。色々な話が出来て面白かった。久しぶりに会ったTs君はビール一杯で酔ってしまったらしく、確かに呂律が回っていなかったが、 普通どおりだと思って喋っていたら、次の日「飲みすぎてすいません」と謝りの電話が掛かってきた。

4月1日

6月刊行予定の音楽批評の単行本のために過去原稿をチェックしなおしました。いろいろ出てきましたので、3月分は過去原稿大会で朝顔の観察に代えさせていただきます。忙しい毎日ですが、なんとか元気にやっております。今度、遊びに行きます。では。かしこ。

イントキシケイト2006.11

■二つの支持体が。

二十一世紀初頭の十年も後半に入って、今年も前世紀を支えた芸術家の多くが世を去った。ジョルジュ・リゲティは六月に死んだ。この現代音楽界きってのイ ンディヴィジュアリストは、青年期にナチズムによるホロコーストに巻き込まれ(彼の父と兄弟はユダヤ民族殲滅政策によって殺害された)、終戦によってその 悪夢から逃れたと思ったら、今度はスターリニズムによる統制と抑圧が待っていた、という、実に特殊で激烈な、しかしまさしく二〇世紀的としか言いようのな い状況を、その身一つで生き延びてきた。
転機となったウィーンへの亡命もやはり政治絡みで、1956年のハンガリー革命が鎮圧された後の反動的粛清を避けることが第一の目的であっただろう。彼 はこの革命を支持していた。鉄のカーテンを乗り越え、欧州の音楽的首都に現れたこの時、彼はすでに三十三歳だった。1956年といえば、欧州の前衛音楽家 たちが最大の盛り上がりを見せていた時期であり、50年代初頭から試みられてきたあらたな技術と技法による実験が、さまざまな音楽会で続々と結果を出し始 めていた時期であったが、リゲティはもっとも遅れてそこに入り込んだ者の特権として、その遅れを距離に変え、当時のクラシック音楽のメインストリーム ―――「形式の確立とその発展」に重きを置くシステマティックな思考法―――に囚われることなく、実に個性的で、しかし、一本の線の上には並べることの出 来ない作品をコツコツと作り続けたのだった。
いま僕の手元にあるのは、『CLEAR OR CLOUDY』と題された4CDのBOXセットで、おそらく追悼盤として編まれたものだろう。 『Complete Recordings On Deutsche Grammophon』ということで、ドイツ・グラモフォンに録音された(その多くは80年代から90年代にかけての録音だ)彼の作品が、ほぼ作曲年代順 に収録されている。「晴れても、曇っても」……「僕は自分の作品を作り続ける」と言うことだろうか、通して聴くと改めて、リゲティの作風の幅広さとそのク オリティの高さに舌を巻かせられる。もちろん、たった四枚のCDで彼の仕事のすべてをカヴァーすることは不可能であり、初期の電子音楽も、自動演奏機械に よる作品も、もちろんオペラ『ル・グラン・マカブル』もここにはない。そうそう、『ハンガリアン・ロック』も入ってないし、あと、ドビュッシーのそれ以降 もっともポピュラーな現代ピアノ曲集であろう『ピアノ練習曲集』からも二曲しか収録されていない(コンプリート?)。まあ、そもそもリゲティの業績全体を 一つのBOXだけで見渡すことなんて無理な相談だろうから、これは仕方のないことだと思う。かなり淡白な印象ではあるけれど、普通に演奏会のレパートリー に加えられそうな作品におけるリゲティの上手さを聴きなおすには十分な内容であるだろう。八〇-九〇年代の代表的な作品である二つのコンチェルトにはやっ ぱり興奮するし、オルガンのためのハード・コアな(B-BOYだと「超ハーコー」)『ヴォルミナ』をはじめて聴けたのもよかった。
リゲティはモダン・クラシックの作曲家の中でも特に、伝統的な対位法を駆使することに衒いのない作曲家であった。実際、彼の最も有名な作品である『アト モスフェール』のマイクロ・ポリフォニーは膨大かつ超精密な音群によって出来ているが、その一つ一つの音は殆ど古典的とも言える作曲技法に基づいて書かれ てあるので、演奏家にとっては出音に納得出来る(演奏自体は勿論容易なことではないが)、非常に見栄えの良いものになっていると言う。ということは、考え てみると当然なことではあるが、リゲティは演奏される前からこの作品のサウンドを頭の中ではっきりと鳴らすことが出来ていた、ということであって、オルガ ンの機能を使い倒した『ヴォルミナ』にも同じことを感じるのだけど、こういった複雑な音群を、実際の響きを抜きにして創造し、紙に書き、展開し、他人に伝 達して演奏させることが出来ている世界というのは、ものすごい変わった伝統の下に育まれた極めて特殊なものであるなあ、と思う。
音をその演奏から一旦切り離し、記号化し、紙に書いて視覚化して把握する、というやり方。つまり、音楽的イメージの支持体として紙とエクリチュールを選 択し、作者と紙とステージとの間の「距離」の中で想像力を作り出し、作品を生み出してゆくこと。スコア自体から音は聴こえない―――この欠落が特殊な想像 力=創造力をもたらし、僕たちは作品が出来た後にきっと鳴らされるだろう「音」を想像しながら音楽を「書く」ことで、個人的なモチーフを十分に展開するた めに必要となる、遅延された時間を手に入れる。こういった引き延ばされた時間を音楽制作の前提にし、その遅れを中心にして音楽を取り巻く状況を整備するこ とで、ヨーロッパの音楽は独特の発展を遂げてきた。
リゲティの作品はこうした十九世紀的なヨーロッパの伝統にがっちりと則ったものであり、彼のフルクサス的なパートはそれを逆手にとって楽しんだものであ ると思うが、これからの世界で、こういったシステムによる音楽を本当に心の底から自分のものと考え、これこそが自分の芸術だとして全面的に受け入れること が出来る人間が、どれだけ活躍することが出来るのだろうか。音楽の支持体として、「紙」という媒介物を本気で選択すること。そして、書くこととそれが鳴ら されることとのあいだにある時間的距離の中から、自分だけの創造力を立ち上げることが出来るようになること。録音の向こう側から響いてくるリゲティの作品 に僕は、こういったシステムが十分に機能していた最後の時代の音を聴き取っているように思う。
「紙切れに一つの音符を書いている時、人はまったく現実のことを考えていません。そしてまた、書いている時と聴かれる時との間のかくも長い距離がありま す……一年とかもっとながいこともある……。現実性の感覚を失ってしまうのです。ミュージック・コンクレートで素晴らしいのは、音を置いたまさにその時 に、それがスピーカーから出てくるのが聞こえることです。音楽創作の歴史の中で、私たち以前にこのようなことは決してありませんでした。写真の発明よりも すごいことです。なぜなら、写真ではカメラのボタンを押す時と現像された結果を見る時との間に、まだ少しの時間があるからです。」
こう語っているのはリュック・フェラーリである。リゲティと同じように、一貫して現代音楽のアウトサイダーであり続けたフェラーリは、「録音」というメ ディアを音楽の支持体として選び、そこに開ける可能性を「紙」による作品との可能性とのあいだに宙吊りにし続けた、二〇世紀はじめてのクラシック・コン ポーザーであった。彼はマイクによって音を集め、それを録音メディアの上に配置し、それを聴きながら作品を構成してゆく。つまり、現在多くのポピュラー・ ミュージシャンが行っている素材の録音→編集という作業のあり方をいち早く身に着けた非常にめずらしい「作曲家」な訳であるが、自分が使う音が「いまこ こ」にある、という発見は、イデアとその再表象とのあいだに永遠の差異がある(そして、その差異こそが創造の源泉である)クラシック音楽にとっては、なか なか認めがたいものであったのではないかと思う。
ぼくたちは現在、録音メディアの上に音を呼び集め、そこから好きな音を手にとって選ぶような形で、音楽を制作することが出来るようになっている。紙とい う支持体の上では厳しく制限されなければならなかった音の素材も拡張の一途を辿り、もう殆どどんなものでも、まるで手に触れたものをそのまま全部取食べる ことが出来る、すべてがチョコやクッキーで出来ているお菓子の国に住んでいるみたいなものだが、そういったある種の地獄の中で作られたものとして、カヒ ミ・カリィの新作『NUNKI』は鈍い輝きを放っている。
どんなものでも音楽として使え、また、「いまここ」がそのまま音楽が立ち上がる神聖な場所になるとするならば、ぼくたちはもう何も選ぶこともできない し、選ぶ必要もない。だがこれは嘘である。これは紙を支持体とした音楽環境が前提としている理念の単なるネガであって、録音メディアに寄せ集められた音か らはじめる僕たちは、ここにも確かな倫理と構造があることを知っている。
『NUNKI』で慎ましく、しかし、圧倒的な存在感でもって鳴らされているひとつひとつのサウンドの強さは、おそらく、紙を支持体とした音楽では決して 響くことの出来ない性質のものである。このアルバムに現れるギターや笙、石や水やエレクトロニクスのアンサンブルは、録音メディアという音楽の支持体がは じめて発見し、自分の名の下でもって世界に提出する、あらたな世界観のあらわれだ。カヒミ・カリィはその歌声によって、水音とギターが重なり合うこの場所 をはっきりと指し示し、プロデューサーたちは見事な腕前でその導きに応えている。カヒミ・カリィの声の繊細さと確さは、何よりも自分が自分として世界の中 でアンサンブルするために、こういった響きの場所をずっと求めていたのだろうと思う。カヒミ・カリィは一アーティストとして、自分の個性をまったく独特の 形で構造化することに成功したということで、このアルバムの成果をはっきりと誇りにしてもいいと思う。
ジョルジュ・リゲティの『ロンターノ』とカヒミ・カリィの『呼続』。来歴が異なり、伸びてゆく方向が異なり、その響きのあり方もまったく異なってる音た ちが、スピーカーの上ではみな、ほんのすこしだけ似た表情を見せて交じり合う。死者の平等にも似たその場所で、これからも僕は音楽を聴き、作ってゆくつも りだ。

サイゾー、2006年6月

東京サーチ&デストロイ (第2回)

今年のはじめに恵比寿みるくで知り合った吉田大輔君から、『仲間と自主レーベル立ちあげたっス。記念のパーティをやるので良かったら是非。』というメッ セージと共に、気合の入った変形フライヤーとステッカーが郵送されてきた。薄手の半透明塩ビで作られた、インフォメーションが印刷されている腕の部分を開 いていくと太陽のような形になるそのフライヤーはちょっとした物で、制作費も結構掛かってるだろう、こういった趣向は嬉しいやね。ということで、 CORNERDISC立ち上げパーティー『緑青』を覗きに吉祥寺のWarpまで行ってみた。
24:00のオープンから若干遅れて入場すると、Warpの中はもう既にB-BOY君たちで一杯で、B2Fのライブ・スペースでは『KOCHITOLA HAGURETIC EMCEES』というグループが奔放なステージで場を盛り上げている。如何にも地元の悪ガキですといった風情の彼らは、なるほど『緑青』を「ROKU? BURU」=「ろくでなしブルース」と読ませるってのはこういう事か、とこちらを納得させる雰囲気を持っていた。吉祥寺という街は23区が終って「郊外」 が始まるその接点上にあり、東京における豊かなローカリティの西の代表とも言える場所だと思う。HIPHOPはこういった「街」の息吹を十分に受け止める ことの出来るフォームであり、吉祥寺を遊び場にして育った不良たちの「音楽」が、このパーティには溢れていた。おそらく現在、HIPHOPとして括られて いるカルチャーの裾野は、一九五〇年代のモダン・ジャズのそれと同じくらいに広いだろう。その時代の気配をダイレクトに移し込んだポップ・アイコンである と同時に、シリアスな音楽的実験所でもあるHIPHOPに対するイメージは、人によって物凄い触れ幅があるのではないかと思う。それこそ隆盛期の特徴では あるが、しかし、HIPHOPもそのコアは、まさにモダン・ジャズと同じようにひとつひとつの現場にこそ存在する。TVなどのマス・メディアはむしろここ では「周縁」なのだ。
ステージには、ジェイアイエヌ(tt,mic),クモユキ(fedarboard,mic),研吾(MPC),UMU(PC,drummacine, etc)による「十三画」が登場し、長机上に整然と並べられた機材を自在に操りながら、全員が一丸となってビートをクリエイトしてゆく。四人が互いの音を 聴き合い、まるでフットサルの試合の様にそのフォーメーションを刻々と変化させながら、サンプルとプログラムとスクラッチをレイヤーして、音のフィールド を切り開いてゆく。その演奏は強力にアブストラクトかつスポーティな素晴らしいものだった。しかもグッド・ルッキングでRAPもこなせる。彼らはまだ世間 的には無名だろうが、これから必ず話題になってくるはずだ。「十三画」。僕の中では今年のブライテスト・ホープだ。
午前3時を回ってもまったく熱量が下がらず、むしろあたらしいお客でさらに混雑してきたフロアで、DJ KLOCKによるビート・ジャグリングの名人芸 をしばらく見てから、僕はWarpを後にした。もう始発が動きはじめている。駅の周りの小さな繁華街にはまだぽつぽつとキャバクラの客引き陣が立ってお り、どの店の人も何故かみなスレていないというか、武蔵野のイイ兄ちゃん風なのが妙に可笑しかった。吉祥寺サーチ&デストロイ。

サイゾー2006、7月

東京サーチ&デストロイ (第3回)

1995年から2005年にかけての十年間を振り返ってみると、僕がうろうろしていたような音楽のシーンでも色々な変化があった訳だが、なかでも興味深 かったのは、「音」という「音楽」の素材自体を問いなおす試みが演奏の現場から自然発生的に生まれ、尚かつリスナーのあいだにもそういった実験を受け入れ る姿勢が定着してきたことだろうと思う。サイン波、超高周波、超低周波、ミキサーのフィードバック音、レコードの針音、管楽器に息だけを吹き込む音などな ど……音量的にも音域的にもギリギリ耳に聴こえるかどうかのラインにある音を「沈黙」とクロスさせることで新たな音楽構造を見出そうとするその試みは非常 にスリリングであり(僕がこの連載の第一回目で取り上げたイベントで行なった『ポータブル・オーケストラ』もそのひとつだ)、こうした動きは「音響= ONKYO」という括り込みによって、ここ数年は海外からも大きな注目を集めている。今年開かれたパリでのショウ・ケースは大盛況だったそうだ。
昨年、こうした動きを支えてきたギャラリーの一つである代々木offsiteが賃貸契約の関係でクローズした。広告屋ともメジャーなレコード会社とも関 係のないこういった小空間を維持してゆくことは、東京においては特に困難であり、五年間に渡って積極的に「場」を提供してくれたoffsiteの消滅は まったく残念なことだった。が、しかしどっこい、カネにならないことをやり続けることに関しては、我々はなかなかシブトイのである。今度はミュージシャン の大友良英が、吉祥寺で『GRID605』という入場者30名限定のインディペンデント・スペースを運営し始めた。
大友良英の名前はサイゾーの読者層には、えーと、『Blue』(安藤尋監督)や『カナリア』(塩田明彦監督)、それに『風花』など相米慎二の諸作品で映 画音楽を担当し、カヒミ・カリィをメンバーに迎えてジャズ・オーケストラ作品を作り、英国『Wire』誌では毎年一回は特集が組まれるほど海外で人気が高 いギタリスト/ターンテーブリスト、といった辺りがアンテナに引っかかるところだろうか。吉祥寺駅至近の雑居ビルの一室に開かれた『GRID605』は防 音の関係もあり、弱音系の演奏しかすることが出来ないが(ちなみに「弱音」は「よわね」じゃなくて「じゃくおん」ね)5日間に渡って開催されるオープニン グ・イベントは、ネット告知オンリーなのにほぼ一瞬で全日ソールド・アウト。大友良英及びこういった「限定された空間」での音楽への注目度が高まっている ことに驚かされた。
僕は28日のステージにsimの一員として出演したのだが、GRID605は「吉祥寺駅の周辺にある」という事以外は場所の情報を公開しておらず、話に よるとお客は駅前に集合後アイマスクとヘッドフォンを装着した状態で手を引かれてビルの一室に連れて来られる。ということだったのだが、実際は勿論そんな ことはなく、スタッフとして運営に関わっている映像作家の岩井主税が駅前からお客さんを誘導してくる。この日の出演は、ギターを使った極微音フィードバッ ク演奏のユタカワサキ、オシレーター二発で部屋をビリビリいわせた大友良英、小空間での鳴りは特別に気持ちのいいアルト・サックス・ソロの大蔵雅彦、そし て我々simで、思っていたよりも充分に音圧が稼げたこともあり満足のゆく演奏だった。演奏中足を動かすと最前列のお客さんを蹴っ飛ばしてしまいそうなほ ど近い距離での音のやり取りは、やはり格別な緊張感がある。GRID605での演奏は全て岩井君によって映像が押さえているので、遠からずネット上でこの 日の僕たちの演奏も見ることが出来るようになるだろう。あらたなスペースの誕生を祝福したい。サーチ&デストロイ。

このマンガがすごい!2006年オトコ版

闇金ウシジマくん 真鍋昌平

連載スタート当初は「闇金業者の手口とそれにハマる人間」を実録風に描くという作品だったのだが、巻を追うごとにウシジマ社長とその業務は徐々に後景に 下がっていって、代わりに、都内でごにょごにょと、金策に翻弄されながら生きずらそうに生きている、エピソードごとに色々と登場するどーにもしようのない 若者たちの描写の比重がどんどん大きくなっており、その筆の冴えはヤンキーとファンシーが点滅しながら同居する彼らの雰囲気を実にリアルに感じさせてくれ る。そういえば、タイトル・ロゴの「ウシジマくん」の「ジ」の点点がハートマークだったりして、最初から何か『ナニワ金誘道』や『ミナミの帝王』とは違っ た気配を持ったマンガだったけれど、「カネの倫理」的な話よりも、「どうしようもなく借金をしてしまう都会人」の在り方にここまではっきり焦点を合わせて くるとは思わなかったので、そして、そういった人を描くために毎回体当たりで努力している感がはっきりと伝わってくるので、特に2巻から5巻目まではスリ リングだ。デッサンや構図の不安定感、また、マンガ表現のシステムに慣れた人にとっては稚拙に見えるかもしれない手描き感あふれる記号処理も、ここでは彼 らの混乱したエモーションを掬い上げる有効な技術となっている。「ゲイくん」シリーズの繊細さ、また、「ギャル汚くん」シリーズで堂々主役を張った、イベ ントサークル代表・22歳フリーター・東京都23区外出身・他のメンバー(高校生のボンボンなど全員年下)から与えられているあだ名は「お父さん」。とい うジュン君のキャラは傑作である。スピリッツで連載継続中。

「間章クロニクル」 ディスク・レヴュー(抜粋)

・マイク・オールドフィールド『チューブラー・ベルズ』

『ここで言えることは音をオブジェとして、しかもおもちゃのように自由自在にのびのびと使い、いじり、動かし、重ねるという感覚こそがこの『チューブラー・ベルズ』の実は本当のすごさと新しさなのではないだろうか。』(「一つの始まりと創造の円環について」)

若干20歳のマイク・オールドフィールドを抜擢し、彼にスタジオを自由に使わせて、「28種類の楽器を自らプレイ、約2300回のダビングを重ね」さ せ、「レコーディングは約9ヶ月間にも及び、最終的なマスタリング、カッティングも4回やり直して」(ライナーより抜粋)アルバムを完成させたヴァージ ン・レコード社長、リチャード・ブランソンの慧眼には恐れ入る。ヴァージン・レコード第一回発売作品の目玉であった『チューブラー・ベルズ』は、リチャー ド社長の狙い通り全世界で大ヒットを記録、映画「エクソシスト」のテーマとしても使用され、マイク・オールドフィールドは一躍音楽業界の寵児となった。ミ ニマル・ミュージックを援用した15拍子のテーマはいま聴いてもエモーショナルだが、この作品がこれほど受け入れられた原因は、間も指摘しているように、 音をスタジオの中で自由に重ねてゆく作業の可能性を実にポップに、軽やかに見せてくれたことによるだろう。ダビング作業のクオリティ・アップによって、バ ンドで人前に立たなくても、そして譜面に書いて人を指揮しなくても、試験管の中で薬液を混ぜるようにして音楽を作ることが出来る—ベッドルーム・テク ノまでつながるこの感覚に対して、間章はその可能性を認めながらも、それを全面肯定することに対しては微妙な逡巡を見せているように思う。「録音」と「即 興」が持つフィールドの違いに対する微妙だが確かな反応が、『チューブラー・ベルズ』を巡る間の言説には感じられる。

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・エリック・ドルフィ『カンヴァセイションズ』

『ドルフィが関わろうとした<未だないジャズの在り方>(原文強調点)、それはジャズをとらえて来たジャズの固定性、形式、すなわちコード、規則的リズ ム、パターン等々といったものから離れて何ら拘束のない自由へ関わるといったものではなかった。ドルフィは明らかに自らをしばり、いましめ、規制し続け た。その意味では彼はフリー・ジャズの季節から切れているし、前衛主義者では決してなかった。或いは、ドルフィは自由というまたはフリー・ジャズというも のが、まさにフリーという形式であり、また途方もない安易さも危険と困難に同時に裏打ちされるものでしかなく、フリー・ジャズによっては自由はそして解放 は得られるはずもないと考えていたのかもしれない。』(「エリック・ドルフィと『カンヴァセイションズ』をめぐる10の断章」)

エリック・ドルフィは、自身に先行するアーティストの中でも間が特別に重要視していた存在だった。いわゆる「ジャズ」の文脈で彼が特権視し、その音楽に 関してテマティックに取り組もうとしていたミュージシャンを最少数で挙げるならば、ドルフィ、アイラー、シカゴ前衛派となるだろうが、この三組の中で前二 者は、レイシー/グレイヴス/ベイリーという「ポスト・フリー」・ミュージシャンを彼が実体験した後も、何度も翻ってその可能性を確認しようと試みたし ミュージシャンであった。『カンヴァセイションズ』は、リーダー・アルバムとしてはわずか4枚しか残されていないドルフィのスタジオ録音作品の中でも、 『FarCry』と『Out to Lunch!』をつなぐ時期のミッシング・ピースを集めたもの。未だに全体像が把握されていないドルフィの音楽であるが、特にリチャード・デイヴィスとの デュオにおける彼のバスクラの謎には、まだ全く分析の手が入っていない。

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・ファウスト 『Ⅳ 廃墟と青空』

『確かに「ファウスト」は数多くのロック・グループのなかでももっとも異例の部屋を持っている。そして彼等について語る時もっとも重要な事は彼等の音楽 が、歌や曲の表現といったものとは違う所で形成されているということなのだ。彼等は音によって演奏によって、音に違う夢を見させ、違う光景を与えようとし ている。「ファウスト」という言葉が選ばれたのも魔術師・錬金術師として実在したファウストにあやかって彼等が音の錬金術師たろうとしていることをうかが わせる。』(「ファウストの悪夢と反世界」)

初端の「Krautrock」という曲名がジャーマン・プログレの代名詞に使われるほど強烈な世界を構築することに成功したファウストの4stアルバ ム。ヴァージンからのリリース。リズム隊がきちんとビートをキープしている曲が多く、ファウストのパブリック・イメージであるエレクトロニクス/コラー ジュの使用による混沌感は薄いが、時折現れる編集による時間の歪みやLRを思いっきり広く使った音像はヘッドフォンで聴くとかなりインパクトがある。間章 は既存のフォームから離れた/離れようとする音楽を聴き取る繊細な耳を持っており、鬼才ぞろいの70年代ドイツ・ロック勢のイントロデューサーとして非常 に優れた役割を果たした。ほとんど国内情報が出回っていない時代に、初期アモン・デュール、カン、ファウスト(間は中でも「ファウスト・テープス」を高く 評価している)などが後世へと与える影響力を正しく認識し、予言していることに驚かされる。

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・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』

『ヴェルヴェットのすべてのレコードのなかで僕はこの「Sister Ray」を収めた『White Light / White Heat』がベストのアルバムだと思う。ヘロインのなかに沈みながらこの「Sister Ray」を聴いたとき、そこに僕は限りなくやさしい亡びと限りなく開かれた地獄を見たのだった。それにこの「Sister Ray」ほどに創造というものの輝きに満ち、あらゆる可能性に満ちた天国と地獄が共存する音楽空間を僕は知らない。それは何よりも僕の言うアナーキーに満 ちていた。』(「アナーキズム遊星軍、ルー・リードのアナーキー」)

アンディ・ウォーホールから離れ、全編をメンバー四人で制作した68年のセカンド・アルバム。冒頭の『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』など、A面 に当たる楽曲にはまだ曲想、コーラスなどにR&Bの影が残っているが、B面に入ると完全にそれまでのポピュラー世界のアレンジを振り切り、特にラ フなワン・コード、ワン・ビートの連打で17分半を押し通す「Sister Ray」では、ブルース/ファンクの豊穣とは全く正反対の、細く、硬く、貧しく、しかし、黒人音楽の屑としての「ロック」としてはこれほど見事なものはな い世界を作り出している。ルー・リードのヴォーカルも素晴らしい。増幅・歪曲・延長によるサイケデリアをどのように認識=価値判断するのか、ということに おいては、間の感覚は(その表現はともかく)かなり鋭く、また正確であったように思われる。

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・阿部薫『なしくずしの死』

『二十歳の阿部薫が我々の前に現れた時、彼の破壊的なアルト・サックスのプレイをおおっていたものこそがこのニヒリスムの深い影だったと私は言うことが出 来る。二十歳の阿部はまるでランボーが「光輝く忍耐で正装して街へ出てゆくのだ」というがごとくに狂暴な愛とパッションと、観念とそして破壊的なスピード とテクニックで正装するようにして登場した。一九六九年というまさになしくずしへ向かってゆくような状況の中で、彼はコルトレーンやアーチー・シェップを 殺すようにしてまさに凶々しい、アナーキストとして登場したのだった。』(<なしくずしの死>への覚書と断片」)

自分と対等に切り結べるはじめての同時代人であり、誰よりも近しい資質を感じていただろう阿部薫について書く間の文章は、彼の残した仕事の中でももっと もイメージ生産力の強いものである。ここに書かれている事柄のどこまでが、実際の阿部の演奏から導き出されたものであるかを読者に考えさせないほど、間章 は阿部薫のイメージを文章によって緻密に構築することに成功している。いま久しぶりに『なしくずしの死』を聴きなおしてみたところだが、ここでの阿部の演 奏の質の高さは、テクニック的にも(出したい音を一発で切り出すコントロールの精密さ)、曲想のオリジナリティ(サックスにおけるプリペアドされたトーン についての感覚を展開するやりかた)においても、そしてもちろんその音色の素晴らしさにおいても、驚異的なものだ。僕はいま、このサウンドを間=阿部的な 言説の磁場からなんとか解放する(というのが大げさならば、ちょっとしたズレのある場所へと導いてゆく)必要を強く感じる。それほど素晴らしい演奏であ り、あらためてこの音楽を自分たちのものにしたいと僕は熱望するのだが、その作業はまだおそらく非常に困難であるだろう。

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イントキシケイト2005?

「VOGUE AFRICA NAKED」

2003年に発売された東京ザヴィヌルバッハのセカンド・アルバム「VOGUE AFRICA」は、坪口昌恭、菊地成孔、オラシオ・エル・ネグロ・エルナンデスによるスタジオ・セッションを、坪口が編集・加工することによって作られた ものだった。機械音と生のドラム・サウンドが絶妙にブレンドされたこのアルバムのグルーヴは実にフレッシュであり、まだフォロワーがいないほど独特なもの であると思うが、この冬、オラシオの監修の元、このセッションの様子をノー・エディットで収録したアルバムが発売されることになった。タイトルはずばり、 「VOGUE AFRICA NAKED」。まったくの完全即興であったというこのセッションの完成度の高さについて、また、現在最高のドラマーの一人であるオラシオがこのセッション でのプレイを自ら絶賛している、というような話は、「VOGUE AFRICA」発売当初から話には聴いていたが、その噂をこんなに早く確認することが出来るとは思わなかった。
ブレイク一回だけ(二曲という区切りで収録)、40分弱をほぼ一気に聴かせるこのドキュメントは、「VOGUE AFRICA」のトラックで使われていないサウンドも沢山含まれており、二枚のアルバムを聴き比べることで、坪口昌恭がどういった時間感覚と色彩感覚で もって「VOGUE AFRICA」を構成していったのかを推測、分析することも出来るだろう。だが、それはともかくとして、「あのセッションは最高だった!(だから編集ナシ でも十分イケてるだろう? ほら! どうよ、この俺のドラミング!)」という、オラシオ・エル・ネグロ・エルナンデスの自負はホントに正しいと思う。ここ での彼のドラム・プレイは聴き所多数、アイディアの宝庫であり、一瞬たりとも緩みというものがない。比較的BPMをつかまえ易いシーケンスが使われている とはいえ、その反応の速さと正確さ、そして流れに乗った後の爆発力まさに驚異的だ。なんとなく雰囲気であわせてゆくのではなく、マシン類の(実際には鳴っ ていない)基礎クリックを完全に把握して繰り出される多彩なフレーズは、もう随分昔からこういう音楽があったのではないかと思ってしまうほどサイボーグな アンサンブルの中に溶け込んでいる。特に二曲目の冒頭、一瞬のブレイク後、シーケンスが切り替わって如何にもマシン・サウンドなハンド・クラップとベース 音が鳴り始め、坪口がヴォコーダーでソロを取り始めた瞬間に繰り出されるオラシオのシンバル・ワークの美しさよ!
坪口・菊地体制になってからはまだライブ・アルバムを発表していない東京ザヴィヌルバッハだが、これはスタジオ・ライブ盤として、各プレイヤーの個人技 を心行くまで部屋でリプレイすることの出来る、ファンにとっては嬉しいボーナスとなるだろう。「コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッション ズ」も、「レット・イット・ビー・ネイキッド」も、オリジナルが出てから三〇年ほど経ってようやっと日の目を見たのだった。時代は着実に変わってきている な。

学研200CD「ロックとフォークのない二〇世紀、ジャズ・ディスク・レヴュー(抜粋)

・Charles Mingus チャールス・ミンガス / 『mingus at monterey 』 (ヴィクター 1964)

body(350):デューク・エリントン直系のコンポーザー/オーケストレーターであったミンガスは、モダンの時代にあっても根本的にはプレ・モダニズ ムな姿勢でもって自身の音楽を遂行しようとし続けたミュージシャンであった。バンドのミュージシャンに対して、彼らの演奏能力を最大限に揮うように求める のはリーダーとしては当然のことだろうが、例えば『Pithecanthropus Erectus』などのスタジオ作品における、自分のイメージを何とかしてグループで表現しようとメンバーをコントロールしてゆくその拘束感は、殆どクラ シックのアーティストに近い感触がある。ここで取り上げるモントリオールでの12人編成ライブは、彼が率いたグループの中でもアンサンブル的にはベストの 出来映えだ。ベースソロによる『I’got it Bad』は必聴。

―――
・Duke Elilington デューク・エリントン / 『The Best Of Early Ellington』 (Decca 1996)

body(350):1926年から1931年の間に吹き込まれたデューク・エリントン・オーケストラの作品から、代表的な20曲を年代順にまとめたベス ト盤。キャリアのスタートとなったケンタッキー・クラブ時代の『East St.Louis Toodle-O』からもう既に、後に炸裂するファンタジックな異国趣味が横溢しており(エリントンはワシントンD.C.育ちのボンボンで、彼にとってセ ントルイス=アメリカ南部ははっきりとエキゾチズムの対象であった筈だ)、この時代に「アメリカ人」は「アメリカ」をどのようにイメージしていたのか、ま た、それは三〇年代以降(デュークらが提供したポップスによって?)どのように再編成されていったのか、ということについて、古典を鵜呑みにするのではな く聴き取っていきたい。

―――
・Max Roach マックス・ローチ / 『Percussion Bitter Sweet』 パーカッション・ビター・スウィーツ (Impulese! 1961)

prof(150)::1924年生。NYシティ育ち。二〇代でチャーリー・パーカー・グループに参加し、ジャズ・ドラミングの改革に大きな役割を果たす。オリジナル・ビバップ・ドラマーの一人。

body(570):ビバップ・オリジネイターのラスト・マン、マックス・ローチ。きりっとした楷書を思わせる、一字一句をゆるがせにしない彼のドラミン グは、五〇年代モダン・ジャズの基礎脈動の一つだ。ロリンズ『サクソフォン・コロッサス』における多種多様なビートの叩き分けはおそらくこの時代彼にしか 出来なかった作業であり、殆ど神話的とさえ言える輝きを残しているクリフォード・ブラウンとの双頭コンボ作品とともにオススメの第一に挙げたいところだ が、ここではもしかすると今ではあまり聴かれることの無くなったかもしれない、一九六〇年代前半のリーダー・アルバムを取り上げたい。ローチはフリー・ ジャズ・ムーヴメントに先駆けて、どのジャズ・ミュージシャンよりも早く、積極的に、アメリカにおける黒人問題について直接アピールする音楽を製作して いった。『Percussion Bitter Sweet』は、『We Insist!』(60)や『It`s Time』(62)とともに、中南米やアフリカといった有色人種の音楽へのラインをきっかりと示したアルバムであり、ローチはこれらの作品を作っていた時 期、カーネギー・ホールでコンサートをしていたマイルスの舞台に、「フリーダム・ナウ!」というプラカードを持って座り込むという事件も起こしている。一 曲目の『Garvey’s Ghost』に溢れるポリリズムは、「モダン」を通過した黒人たちによるアーバンなバーバリズムが体現されており、六〇年代の前半にはこのサウンド自体に 政治的な主張が含まれていたのだった。

sub(100): Max Roach / 『We Insist!』(candid 1960)

おそらく「座り込み」運動を描いたジャケ――ドライブ・インの白人専用のカウンターに座り込んだ黒人たちが、ドアから入って来た客(白人)の方を振り返っている図――も鮮やかなキャンディド作品。アビー・リンカーン全面参加。

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・George Russell ジョージ・ラッセル / 『Jazz in the Space Age』 宇宙時代のジャズ (DECCA 1960)

body(350):一曲目のタイトルが『クロマティック・ユニバース-パート1』であり、イントロに流れるスネアを使って発しているらしい電子音を模し たSE(ラッセル自身が演奏)からして、もう既にアカデミズムな香り&ミスティフィカシオン性たっぷりの『宇宙時代のジャズ』。ところがこれ、アーニー・ ロイヤルやミルト・ヒントン、バリー・ガルブレイスといった名手に恵まれ、かなり骨太なアルバムに仕上がっています。ビル・エヴァンスとポール・ブレイと いう、この時期キレキレのピアニストをLRにソリストで迎える、というアレンジも実に格好いい。ホーンの抜き差しも凝っていて、五〇年代科学主義の最後を 引き受けた音楽として、未だ色々な側面から(ジャズの文脈外でも)聴く事の出来る貴重なアルバムだ。

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・Miles Davis マイルス・デイヴィス / 『Miles Davis&The Modern Jazz Giants』 (prestige 1956)

body(350):マイルスとセロニアス・モンクの共演が聴けるアルバム(『Bag’s Groove』の一曲はこのセッションからのトレード)として有名な一枚。モンク以外のリズム隊はMJQのメンバーなんだけど、これはプレステッジのボ ブ・ワインストックがジョン・ルイスを毛嫌いしてたから、と言われている。ありそうな話だが、ミルト・ジャクソンとモンク、それにマイルスの組み合わせは 音色的にも最高。ドラッグによる長い不調期を脱したマイルスが、自身の音楽創造に向けてセッション全体をコントロールしはじめた時期のアルバムで、「54 年クリスマスのケンカ・セッション」というレッテルは目を引くけれど(詳細については他の本を当ってください)、この見事な演奏を出来映えを聴いてそんな 発想をする人間の感性は疑った方がいい。実に瑞々しいサウンドだ。

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・Lee Konitz リー・コニッツ / 『Subconscious-Lee』 サブコンシャス・リー (prestige 1950)

prof(150)::1927年シカゴ生まれ。スウィング・ジャズ期から現在まで、独特の音色とフレージングで唯一無二の個性を誇る白人サックス・プレイヤーの代表的ミュージシャン。ビッグ・バンドから無伴奏ソロまで、さまざまなフォームで作品を残している。

body(570):1949年から50年春に掛けて吹き込まれた、リー・コニッツを中心にしたセッションを一枚にまとめたアルバム。実質上レニー・トリ スターノのリーダー・セッションである1~5曲目は、プレステッジ・レーベルの船出となる記念すべき初録音。この時期、バップがようやっとメジャーなもの になって来ていたとはいえ、世はまだスウィング・ミュージックの大全盛時代であり、そんな中でこれほどアブストラクトな、混じりけのない硬質な輝きを見せ るソロが並んでいる吹込みが生まれたのはある種奇跡に近い。以後、一貫して「モダン・ジャズ」をリリースし続けるプレスティッジの誕生を祝福する魔法がこ こにはかかっているのだと思う。リー・コニッツはこの時期、トリスターノの門下生として彼の音楽を忠実にサックスでリアライズする作業に務めていたが、ギ ターのビリー・バウアー、テナー・サックスのウォーレン・マーシュ以下、このアルバムに参加したミュージシャンはみなトリスターノが参加していないセッ ションにおいても彼の支配下にあり(油井正一先生は「トリスターノが催眠術を掛けていたのだ」とおっしゃっていたが)、それぞれが異なった楽器で一糸乱れ ず同じイディオムのソロを繰り広げてゆく。一般的には「クール・ジャズ」の代表にも挙げられるアルバムだが、この緊張感には何か異常なものがあり、特にビ リー・バウアーとコニッツのデュオ『REBECCA』は、どうしてこんな音楽が生まれたのか、相当に謎は深い。

sub(100):Lee Konitz & The Gerry Mulligan Quartet

53年、西海岸に移動してマリガン率いるピアノレス・クインテット(TPはチェット・ベイカー)と共演した録音。コニッツの、殆ど神がかり的に凝縮されたソロは何度聴いても背筋が寒くなる。これより先にも後にもない、歴史に屹立する『LoverMan』の美しさ。