イントキシケイト、2004?

藤原大輔 「Jazzic Anomaly」インタビュー

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初リーダー・アルバム「白と黒にある4つの色」をリリースした後、アンダーグラウンド・レジスタンス陣との競演や、濱村昌子(pf)、井野信義 (bass)、つの犬(ds)という強力なメンバーを率いたアコースティック・セッション・シリーズなど、快調に活動を続けてきた藤原大輔が、7月10日 に二枚目のリーダー・アルバムを発表する。前作同様、ボストン時代からの盟友であるミヤモト・タカナ(piano,keys)とトリヤマ・タケアキ (drums,per)を迎えて作られたそのアルバム――「Jazzic Anomaly」の中には、これまで彼が自分の音楽に取り込んできたさまざまな要素――リズム・マシーンによる打ち込みのバック・トラック、モーダルな和 声の感覚、そして勿論、個性的なサクソフォン・サウンドと即興演奏――が、きわめて有機的な形で含まれている。
「今回のアルバムは、ボストン時代にミヤモトとトリヤマとでやっていたことと、それ以後、例えばAupeってユニットで昨年から試みているリズムとグルー ヴの実験や、エレクトロニクスでやってきたことなんかを全部ミックスさせて、いま藤原大輔がやっている音楽の集大成的なものが作りたい、と。そういう意図 でスタートしました。あと、去年アルバムを作った後このメンバーでツアーをして、その時にもっと色々なイメージというか、彼らをこういった舞台の上に乗せ たら凄く似合うだろう、とか、また逆に、僕が用意したシチュエーションでは彼らに思ったようにプレイしてもらえなかったりとか、そういったアイディアとか 反省点を元にして作っていますね。」なるほど、今回のキーワードは「映画的なアルバム」ということだが、藤原がレコーディングの際に用意した各曲のバッ ク・トラックは、その中で共演者が自由に振舞い、即興的にセリフをやりとり出来るような舞台装置の役割を担っているのだ。出演者が一番映えるようなロケー ションをハンティングし、カメラのアングルを決め、脚本を仕上げる……。「そういう文脈で言うならば、今回のアルバムあまりセリフの指定とか演技の指導と かがない、長回しのカメラの前で各人自然に振舞ってもらう、みたいな感じで、プレイヤーが自分でイメージを膨らませてストーリーを作ってゆくようなやりか たで録音しました。彼等のイマジネーションを出来るだけ邪魔しないように心がけて、例えば、いまのシーンは自分が思ってたイメージとは随分違うことになっ てるなあ、と思っても、演奏を止めて説明する、みたいなことはやらないで、その場で起きている事を優先させる。そういう時の方がむしろフレッシュなサウン ドになって、特にアルバム中のrippleって曲はそういったハプニングが上手く作用していると思います。現場で起きていることを最大限に取り込んでい くってやりかたで、かなりジャズ的な方向だと思うんですが、きちんと演出して、がっちりとしたセリフと舞台を用意して、それを演技してもらう。そうした表 現でもミヤモトとトリヤマは素晴らしいんで、そういったものにもチャレンジしてみたいですね。コッポラだって『地獄の黙示録』だけじゃなくて色々な映画を 撮っている訳ですし。」

サイトBK1 2001年?

●bk1 『日本フリージャズ史』 副島輝人インタビュー

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現在から遡ること40年ほどの昔、世界各地で高まっていた政治的運動の波を受けて、日本においてもさまざまな分野で変革を求める動きが激しく燃え上がっ ていた時代があった。寺山修司による『天井桟敷』、唐十郎による『状況劇場』、赤瀬川原平らによるハプニングス、土方巽によるまったくあたらしい舞踏の創 出……。既存の価値観にとらわれない表現が噴出した一九六〇年代、アメリカン・カルチャーの影響をもっとも強く受けながら成立していた「ジャズ」という ジャンルの中からも、自分達の真のオリジナリティを求めて、未知の領域へと果敢に踏み出してゆくミュージシャンたちが現われ始めた。日本におけるフリー ジャズとは、そのような真に個人的な(そしてそれは結局、戦後の日本文化を真に引き受けたものであるはずなのだが)サウンドを探求してきたミュージシャン たちによって作られてきた、ということが、副島輝人氏の『日本フリージャズ史』にははっきりと記されてある。フリージャズ黎明期からつねに演奏の現場に 立ってシーンを育ててきた氏の筆によって活写されているジャズメンたちの活動とその不敵な面魂は、その場に立ち会うことが叶わなかった人間にとっても本当 に魅力的なものだ。現在でも世界中を飛び回りながらジャズの現場で活躍を続けている副島氏に、この本をまとめるまでのお話などをお伺いした。
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……副島先生は1931年のお生まれということですが、フリージャズに傾倒するまでの音楽遍歴を多少お伺いしたく存じます。まずはじめは、いわゆるモダン・ジャズをお聴きになっていらっしゃったんでしょうか。

副島:「終戦の時に14歳だから、僕は戦中派、というか敗戦焼跡派ですね(笑)。戦後すぐはね、ご存知でしょうけれども、アメリカから来る音楽はだいたい みんなジャズって名前で呼ばれてたんですね。実際はジャズ・ソング、甘味の強いジャズ風の小唄が多くて、また一方ではカウント・ベイシーやエリントンも あったから、いま思うとそういうものを全部ひっくるめてジャズって呼んでいたわけです。僕もラジオから流れてくるそういった音楽をよく聴いていました。 で、ところがね、一九五〇年代にはコーヒー文化、喫茶店文化というものがありまして、銀座を中心にして有名な喫茶店が何軒かあって、そこに文人論客たちが 集まって、ある人は新聞を読んでる、ある人は原稿を書いている、ある人は議論を交わしている、そういった状況があった訳ですね。僕もその頃は映画の批評を やろうと思っていたから、映画会社でプログラム・パンフレットを作って映画館に配る仕事をする傍らそういった喫茶店に出入りしていたんですよ。そういった 喫茶店の中に、ジャズのLPを専門にかけるいわゆるジャズ喫茶もありまして、そうしてある時、有楽町の駅前に出来たあたらしい小さなジャズ喫茶店に入りま したら、異様な音楽が耳にガーンと入ってきた。これはなんだ? って。とにかく、ラジオでいままで聴いていたような音楽とは全然違うんです。それがモダ ン・ジャズとの出会いでした。なにがその時かかっていたのかは今でも覚えていまして、ジェリー・マリガンとチェット・ベイカーのカルテットなんです (笑)。それを聴いて、その次にバド・パウエルがかかって、その次がホレス・シルバーだったんですが、その時はもう何がなんだか分からないくらい興奮し て、混乱してしまったんですが、分からないなりにこの名前は覚えておかなくちゃって必死に覚えたんでしょうね。これはただ事ではないって、そのあと帰って 同僚なんかに、おまえ凄い音楽があるぞって吹いて、そのあとは毎日入り浸りですよ(笑)。その頃はLPは高くて、ラジオではかからないようなそういった当 時の大前衛はジャズ喫茶に行かなければ聴くことが出来なかった。アメリカからの文化的窓口、蛇口の役割をジャズ喫茶が果たしていたわけです。そうした点が いまとは随分と異なっているところですが、そうやってどんどん聴いていくうちにジャズの魅力がどんどん分かってきて……そのまま自然に前衛を追いかけて いって、フリージャズにのめりこんでいった、という感じですね。」

……なるほど。そうしてその後、60年代の後半からフリージャズの現場で批評やプロデュースなどの活躍をされる訳ですが、副島先生が関わったそうしたムーブメントをこのように本としてまとめるという企画はいつごろから出ていたのでしょうか。

副島:「二年くらい前からですかね。実はこの本を書く前に、他の出版社さんからの話で『日本のジャズ史』をまとめてみないかと依頼されたことがあったんで す。それでその企画もすこし進めたんですけど、僕はどうしても現場派だから、やっぱり自分で見ている話を書きたいんですよ。戦後直ぐなんてもの凄い面白い 話が一杯あるんですけど、自分で見ていないことはどうしても書きにくくて……。それで、その話は一端取り下げて貰ったんですが、そうしたところ、今度はフ リージャズの話を書いて欲しいという依頼がありまして。まあ、結果的にフリージャズだけでもこんなヴォリュームになってしまいましたので(笑)、分けてよ かったのかもしれませんね。」

……フリージャズという音楽に興味を持ったとしても、いままでは資料がまとめられていなかったり、音源が少なかったりと、なかなか取り掛かるきっかけが掴 めなかった人が多かったのではないかと思います。このように歴史的にきちんとまとめていただいた事で、これからようやっと「日本のフリージャズ」とはなん だったのか、と皆でその特質や成果を考え始めることが出来るようになったのでは、と思います。

副島:「そうですね。あのー、でも、後書きでもちらっと書いたんですが、僕はいま現在起きていることに、いまでも一番関心があるんですね。昔のことよりも いま目の前で起きていることの方がよっぽど面白い。いまこういうことが起きている、だから、明日はこういうことが起こるかもしれない、そういうことに興味 を持ったままずっと来ている訳で、だから最初はこんな本を書いて「フリージャズ」を歴史としてまとめてしまうことにはちょっと抵抗があったんです。ただ ね、最近海外でも日本のこういったシーンに興味を持って研究をはじめている人が出てきて、それはいいことだと勿論思うんだけど、日本にちらっと来て適当に 何人かにインタビューして、それであっち帰って歴史的に間違った論文を書かれたらどうします? って編集者の人に言われたんですね。そりゃ困るよ、って答 えたら、じゃあ副島さんがこのあたりできちんとまとめておかなくてはなりませんね、って痛いところをつかれまして(笑)。それで書くことに決めたんです が、それと、いままでに書かれてこなかった、記事として取り上げられることの比較的少なかったミュージシャンのことを出来るだけきちんと文章にして起きた かったという動機がありました。代表的な音源すら今では手に入らなかったり、そもそもレコードに収まりきらない表現を行って日本のフリー・ジャズを活発に してきたミュージシャンたちもたくさんいる訳で、そうした人たちを過去の霧の彼方に消えさせてしまうわけにはいかないだろう、と。そういったバランス感覚 のなかでこの本はまとめられていますね。」

……この本のなかには、戦後の日本で音楽活動を行うとはどういうことなのか、といった根源的な疑問からジャズへ取り組んだ人たちの姿がとても生き生きと描 かれているように思います。また、フリージャズと一口にいっても、各ミュージシャンがやっていることは随分と異なっている訳で、このようにして歴史の中に 描かれた後にようやっと各人の音楽性を考えることが出来る、そうした研究のきっかけが『日本フリージャズ史』によってようやっと用意されたのではないか、 と思います。

副島:「じゃあ、この本を書いたかいがありましたね。現在ではジャズにおいても、個々人の表現と云うことで、演奏のなかにフリージャズ風のところがあった り、それ以前のモダンなサウンドがあったりとか、一曲のなかでもさまざまな姿を見せる演奏も多いですよね。そういう意味では昔の、きっちりセクトというか 区分があったころのフリージャズというのはもう通過されてしまっていると思う。でも、そういったものがどこに出生を持つのか、ということを考えるのは、そ ういった表現がこれからどこへ行くのか、ということを捕える際に重要になってくることだと思います。この本は歴史の本ですけれど、いま行われている音楽に 幾らかでも反響を与えることができたら素晴らしいことですね。」
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2002年、エスプレッソ11号

■「Guitarist Gathering」巻頭文
大谷能生

「……サリー・アート・スクール・シーン出身の固い絆で結ばれたR&Bファンによって結成されたヤードバーズは、最も有名なイギリスのギター・ヒーロー を3人輩出した。つまり、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジである。当時クラプトンは、ヤードバーズがポップへ傾いたことに不 満を持ち、脱退してジョン・メイオール・アンド・ブルースブレーカーズへ移り、リード・ギタリストの役割を定義し直すことに一役買うことになる。彼はま た、当時すでに時代遅れだったギブソンのレスポール・サンバーストとマーシャルの45wの1962年モデル・コンボ・アンプとを組み合わせ、ギブソンのパ ワフルなハムバッキング・ピックアップを使うと、マーシャルがオーヴァードライブ状態になり、クリーミーでサステインの効いたサウンドを生み出すというこ とを証明してみせるといった、ロック・ギターのサウンドに革命をもたらしている。……次はジミ・ヘンドリックスの番である。彼は当初アメリカ製のチトリン 回路を直接用いて、ブルースの伝統を学んでいたが、その後、クラプトンによって築き上げられた、ロック・ギターにとって最も効果的で明確なヴォキャブラ リーを生み出すマーシャル・サウンドを足場とした。ヘンドリックスは、実際、標準仕様のストラトキャスターの全機能をフルに活用して―――ヴィブラートを かけたり、規則正しいリズム・サウンドを得るのにピックアップのスイッチをイン・ビトウィンにセットしたり、あるいは、典型的なディストーションを得るた めに出力を最大限に上げたりしながら―――あの先見の明があると称されていたレオ・フェンダーですら、恐らく想像さえつかなかったサウンドを作り出したの である……。」(『ロック・マシーン・クロニクル』 シンコー・ミュージック出版 p19)

本特集のタイトルである「Guitarist Gathering」という言葉は、2002年の1月17日、西麻布のBULETT’Sにおいて行われた本特集の先行イベント、 「short.homeroom+NO BLEND /Guitarist Gathering 2002 issue」のWebフライヤーにおいても書いたとおり、1992年の冬に(旧)新宿ピットインで行われたライブのタイトルから頂いて来たものである。 10年の歳月を隔てたこの二つのイベントには、ギタリストに焦点を当ててライブが組み立てられていると云った点を除けば、その規模から出演者の顔ぶれにい たるまで全く関連はなく、実際、当日BULETT’Sを訪れた20名ほどの観客のなかで昔日のことを記憶している人間は、おそらく0名であったのではない かと思う。時間の都合でフライヤー入稿に間に合わず、Web上で限定公開されただけであるそのイベントの宣言文をここに再録して、もう一度このイベント/ この特集の基点を確認しておきたいと思う。

「いまから10年前の1992年、移転・改装を目前に控えた(旧)新宿ピットインにおいて、『ギタリスト・ギャザリング』と題されたライブが行われたことがあった。
ガイ・クルゼヴィッツ率いる『ポルカしかないぜ』バンドのギタリストとして来日し、滞在中日本のミュージシャンとも積極的にセッションを繰りひろげてい たジョン・キングを中心として、ドラムスに佐野康夫、ベースに坂出雅海(ヒカシュー)、サックスに(急逝した篠田昌巳の代わりに)野本和浩、という面子が バッキングを勤めたそのステージには、総勢10名のギタリストが出演し、それぞれ互いのサウンドに影響を受けあいながら、同じ空間と時間の中で演奏を行っ た……。(ゴメン! 紙幅の都合で特集の最後のページに続きます。とりあえず、このまま特集のインタビュー記事へどうぞ!)

学研200CDジャズ入門

2.スウィング・ジェネレーション

ニューオリンズからやって来たミュージシャンたちに生気を与えられたアメリカ各地のバンドマンは、肌の色を問わず、みな一斉にそのスタイルを自身の音楽 性の中に取り入れようと試みはじめ、特に「ローリング・二〇’S」の好景気とハーレム・ルネッサンスに沸くニューヨークでは、星の数ほどあったモグリ酒場 とホテルのボールルームを舞台に、さまざまバンドが互いに研究しあい、腕を競い合っていった。高度なクラシック教育を受け、白人ダンス教室のピアノ伴奏や レッスンを請け負っていたジェイムス・P・ジョンソン、ウィリー・ザ・ライオン・スミスといったストライド・ピアニストをボスとして持っていたニューヨー クのミュージシャンたちは、ニューオリンズ的なホットさを保ちながらバンドに和声的繊細さを導入し、巨大なボールルームでも充分に見栄えがする大編成のバ ンドを組織することに取り組んだ。二〇年代を代表するバンド、フレッチャー・ヘンダーソン楽団(彼の活動をまとめたアルバムとして『ケン・バーンズ・ジャ ズ~20世紀のジャズの宝物』 (SME SRCS-9650)を挙げておく)およびデューク・エリントン楽団に務めたレックス・スチュワートは、著書『ジャズ一九三〇年代』(草思社)において、 当時の雰囲気を良く伝える以下ようなエピソードを語っている。『トーマス・”ファッツ”・ウォーラーは、他の第一線級ピアニストたちとはちょっと違う場所 に立っていた。ピアノをひとつのオーケストラとして捉えていたのである。パーティや社交的な集まりでは、ラグやストンプやブルースを他人と変わりなく弾い たが、それは彼の一面にすぎなかった。しばしばカフェのピアノで、考えかんがえ和音をたたき、「いまのがサックス・セクション……そこへ今度はブラスが 入ってくる」などと、聴き惚れている仲間たちに説明したものだった。ウォーラーはいつでも曲のなかに色彩豊かなサウンドを織り込もうと苦心していた。』彼 らは三官のフロントを最大八人編成にまで拡大し(tp二本、tb二本、saxおよびcl四本など)、自由自在にソリストとバックの音色を組み合わせ、バネ の効いたダンス・サウンドの中に当時流行していた全てのポピュラー音楽を溶け込ませて演奏出来るジャズ・オーケストラを作り出した。折からのラジオ・ブー ムも手伝って、彼らのサウンドは全国に大きな影響を与えてゆくことになる。
が、ここで大恐慌が起こる。一九三〇年から一九三四年まで続く大不況時代、人々に好まれたのは「スウィート・スタイル」と呼ばれる甘く緩やかな白人的ポ ピュラー音楽であり、フレッチャー・ヘンダーソンらが工夫したアンサンブルから「ジャズ」的な要素を脱臭したような白人バンドに押されて、デューク・エリ ントンやルイ・アームストロングらはしばらくヨーロッパ巡業へと脱出、また多くの黒人ミュージシャンは廃業の憂き目を見ることになる。そうした国内の状況 がようやっと回復しはじめた一九三五年、今度はベニー・グッドマンによってあらたに熱狂的なスウィング・ミュージック・ブームが沸き起こる。小気味良いリ ズム、美しいクラリネットの響き、良く整えられたアレンジ……。これまでさまざまな音楽に大影響を与えながらも、社会的にはアンダーグラウンドに留まって いた「ジャズ」ミュージックは、ここではじめてアメリカのセンター・フィールドに踊り出る。『不況を克服したアメリカ市民は二才の童子から八十才の老人ま でが、ベニー・グッドマンのスイング・ミュージックに狂喜乱舞したのである。「これこそアメリカの音楽だ!」と彼らは叫んだ。』(油井正一・『ジャズの歴 史物語』)。グッドマンに続いてトミー・ドーシー、グレン・グレイ、アーティ・ショウ、グレン・ミラーらのバンドが続々とチャートにヒット曲を送り込む が、黒人「ジャズ」バンドはこれら白人「スウィング」バンドとは異なったものだと思われており(油井正一曰く、『大衆はスイング・ミュージックとは白人が はじめた新しいアメリカの音楽だと思いこんでいたのである。』)こうした流行とは無縁のままであった。

エスプレッソ11号 2002年

■outdoor information 扉文
大谷能生×臼田勤哉
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大谷:こんにちは。今回の巻頭特集は「outdoor information」 と云うことで、近年、都内各地に現われ始めたあたらしいかたちのライブの現場をチェックしながら、そういった場所がどのような音楽シーンを生み出している か、或いは、そのような場所がどういった欲望から生まれているのか、と、まあ、こういったことをレポートしてみたかった訳ですが、取材に回ってから本が出 るまで一年以上かかってしまって、そのあいだに「東風」なんか潰れちゃったと云う(笑)。各スペースの方々にはご迷惑&ご心配おかけしてどうもすいません でした。
えーと、それで、いわゆるライブ・ハウス以外で行われる音楽の現場って云うと、例えばクラブとかレイブ・パーティーだとか、ダンス方面に特化されたもの がまず思い浮かぶ訳ですが、今回取り上げさせて頂いた所はそういった感じとはちょっと違う。ここに何かポイントを設けて、現在の音楽の状況の一側面を浮き 彫りに出来たら、と思っていたのですが、インタビューをまとめて読んで、臼田君、まずどんな感想を持ちましたか?

臼田:共通しているのは、「ライブハウスでは無い」けれどもライブをやるということなんですよね。なんでそうなったのか、という点についてはそれぞれに 違っている点が面白いのですが。まあ、音楽がその場所にあるものとして、そうなったと。で、ダンスミュージックを扱うスタンスも積極的ではなけれども無視 するわけでもないと。
今回、僕はコラムで野田努の「ブラック・マシーン・ミュージック」というダンスミュージックの本について書いたけれど、あれってディスコ-ヒップホップ 以降のブラックミュージックの一部としてのデトロイト・テクノのタフな生い立ちを丁寧にまとめた本なんですよね。歴史化したというか。まあ、これらが90 年代初頭に日本で流通する際には「未来の音楽」になっていたわけですが。で、outdoorってダンスミュージックというコミュニティミュージック的な側 面は無いし、凄腕のプレーヤーがいるわけでもない。これらを纏め上げるような歴史的な流れというのを僕は今のところ想像できない。そういう意味では今のと ころ「未来の音楽」ですね(笑)。

大谷:いやいや、なにか派手な売り文句があれば意外とすぐに大きな流れになって、10年後には一冊の本が書けるくらいになったりして(笑)。そうね、 「outdoor」って言葉を今回採用した意味を手短に話しておくと、これはぼくだけかもしれないんだけど、CDを買って帰って家でそれを聴く、って云う リスニングの手続きを相対化したかった訳ですね。ともかくまず外に出て、都会のフィールド・アスレチックのそこかしこで(笑)いろいろな形でリリースされ ている音楽の姿に触れてみよう、と。勿論、ライブ最高! CDなんてもう古い、みたいな話では全く無くて、音楽が自分の手元までやってくる回路の在り方を いろいろ探ってみる、って感じでした。そのあたりの突っ込みはちょっと足りなくて、もう少しライブ・レポートなんかも含めて丁寧に比較出来れば良かったん だけど……。

臼田:うーん。いまごろ思い出したけれどそんな話したかもしれませんね。うまく出ているかはよくわからないのだけれど。いずれにしろ、リスナーとプレー ヤー、企画者なんかがすごく接近した位置にあるということは、この数年顕著なことだったと思うのだけれど、そうした傾向のドキュメントとしては楽しめるん じゃないかな?
まあ、こういうのを歴史化するのは後世の人に託すとして(笑)、ここ数年の東京も相当変なことになっていますし、エスプレッソを家で読んで楽しむのもい いですが、そこかしこに出かけてって、そこで生まれつつある音楽に触れてみてください、っていうまとめでいいですか? テキトーですいませんがそれではス タート。

エスプレッソ11号 2002年

■ドキュメント「東風」 開店から閉店まで 扉文
大谷能生
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「@月@日 吉祥寺のウチの近所になに屋だか分からない怪しい店が出来た。1年前の春だ。入口には謎のオフジェがドンとあって「東風」の文字。週末にな ると深夜までこうこうと明かりを灯している。出入りしているのが怪しい風体の若い連中ばかりだし、どうもライブをやってるような気配すらある。それに外に 漏れ聞こえてくるのはノイズみたいな音だし・・・。で、あんまり気になるんである日看板をちゃんと見てみた、らどうもCD屋らしい。おまけに時々ライブも やっているらしく、スケジュールには敬愛する永田一直や岸野雄一師匠、湯浅学教授の名前まであるでないの。あれれ、遠慮することはねーか。入ってみると、 レジにはセクシーな女性が座っていて、しかもインタネのエロサイトを見てるし、その奥ではタオルを頭に巻いたケンカの強そうなあんちゃんがソバをずるずる やってる……」(TOKYO ATOM 2001年6月号、「大友良英のJAMJAM日記」より抜粋)
吉祥寺駅から歩いてすぐそこの場所に、セレクト・ショップ「東風」は2000年5月から2001年8月まで店を開いていた。こうやって書いてしまうと、 本当に短期間しか活動していなかったんだなあー、としみじみ思ってしまうが、その期間にこの店で行われたイベントの数量と濃さはほとんど伝説的なものだ。 店長、露骨KITにおこなった閉店前と閉店後のインタビューと、サイトやビラから拾った当時のイベント情報を記載して、飛び抜けて個性的だったこのミニ ショップがどのように始まりどのように終わったのかを記録しておきたい。みなさんもこの記事を参考にして、どんどんお店をはじめてください。
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図書新聞 2002年?

●「ex‐music」/佐々木敦

この本に収められているのは、批評家・佐々木敦が八〇年代の終わりから二〇〇二年までの間に執筆した「音楽」を巡るテキストの数々である。本書を手に 取った読者はまず、五〇〇ページを超えるこの本の厚さに、そして頁をめくる度に次々と登場してくるミュージシャンたちの膨大な数に驚かされることになるだ ろう。実際、佐々木氏が九〇年代におこなってきた批評・紹介・制作活動について、ぼくはある程度の知識を持っていたつもりだったけれども、これほどの数量 になっていようとは、装丁担当の佐々木暁氏がディレクションしたカバー写真、『TOWER RECORDS』(というのかどうか、剥き出しのレコードを数百枚積んで円柱にしたもの。素晴らしい!)の圧倒的な迫力とともに、この本は殆ど物質として の存在感を剥き出しにしてこちらに迫ってくるように感じられる。
ジョン・ゾーン、ハーフ・ジャパニーズ、キャロライナー、JLG、クリスチャン・マークレー、セントリドー、ベック、ジョン・フェイヒイ、ジム・オルー ク、ピタ、カールステン・ニコライ、オヴァル、トータス、竹村延和……こんな羅列ではまだまだ足りない、佐々木氏がこれまでに付き合ってきた音楽家とその 作品の数々、氏の批評だけが唯一アップ・トウ・デートなインフォメーションだったものも少なくないそれらのアイテムの集積に、ぼくは、その多くにリアルタ イムで接してきたリスナーの一人として、一〇数年という時間の厚みを思わず追体験してしまったのだけれども、佐々木氏の批評には本来そういった追憶を喚起 するような要素は殆ど(いや、まったくと言っていいほど)存在せず、また、これだけ沢山の文章が集められているにも関わらず、そこになんらかの価値体系を 形成しようとする動きも見ることが出来ない。決してスタティックな状態に落ち込むことのない、針を落すたびに何度でもあたらしく立ち上がってくるような軽 さ、スピード、即物性。この本の迫力は、細部まで厳密に位置づけられた体系的記述が持つ価値の遠近法の力に由来するのではなく、ひとつひとつの文章に内蔵 されているアクションの異なりが、時に相反し、時に折り重なって生み出されるロールオーヴァーな震動・錯乱状態から生まれて来ているのものだと思う。
普遍からの距離で作品のなかに映りこんでしまっている音や影像を計ることなく、そこにある可能性の異なりを出来るだけばらばらに見つけ出し、それらと個 別に関係を結んでゆくこと。――ここには毎月気が遠くなるほどリリースされ続けるレコードの「量」と「速度」から眼を(そして、耳を)逸らさない人間だけ が得ることの出来る倫理があり、そうした作業から導き出される確かな批評の方法がある。
ぼくたちは現在、それが録音されたものならばすべて、楽音や雑音と言った音楽美学的な区別とは無関係に、それらを聴いて楽しもうとする姿勢を用意するこ とが出来るようになっていると思う。ジャンルや音質、歴史的位置付け、楽曲の良さ、商品的完成度云々といったこれまでの価値基準から一旦離れ、まずはそこ に映しこまれている音像とその編集に対して耳を澄まそうとすること。こうした試みはおそらく、一九九〇年代の半ばからぼくたちの周りで顕在化しはじめてき たものだ。ほんの数年前の出来事なので、その契機を正確に分析することはまだ難しいけれども、大型レコード店の売り場を――インポート、リイシュー、イン ディーズその他のアイテムが見渡す限り並べられている広大なビルのフロアーを彷徨ったことがある人間ならば、時折目の前の棚からぼんやりと顔を上げて、こ れらのレコードたちに共通してあるものは何なのか、そしてそれを同じ耳で聴くために必要な姿勢とはどういったものか、と言ったようなきわめて原理論的な疑 問を思い浮かべたことが必ずあるはずだと思う。そして、こうした問いかけの中から、レコードによるリスニング・システムを成り立たせている録音・再生機器 そのものの性質――例えば、自らを震わせたものを、価値判断を抜きにしてすべて平等に変換し続けるというマイクロフォンとピックアップの基本的な機能―― に出来るだけ近い場所で音を聴こうとするラディカルな姿勢や、わずか数枚のディスクの為にあらたなジャンルを捏造してすぐさまそれを破棄する、というよう な試みも生まれてきているのだ。
レコードで音楽を聴くという経験を、過去に行なわれた生演奏の追体験としてではなく、目の前で現在回転しているディスクと再生機器の運動にまで引き下ろ してから考えてみること。これまでその音盤を取り巻いていた言説に見直しを迫るこうした姿勢は、また一方では、好みという基準に従って自身の趣味性を圧倒 的に強固なものにしてゆく刹那への動きとも切り離すことが出来ない。こうした二律背反を受け止めながら、レコードのなかに収められた一つ一つの切れ目、個 人個人の欲望の発露、そしてそれを成り立たせている知覚の原理へと向けて自身のリスニングを開いてゆくこと。佐々木敦が無数のディスクと付き合いながら実 践してきたのはこのような批評活動であるが、こうしたスタンスは九〇年代の後半にあらわれた一群の音楽家にも共通して認められるものであり、本書が捧げら れているジム・オルークこそ、そうした場所に誰よりも早く入り込んだミュージシャンの代表に他ならない。『ex-music』の後半部分は、録音物の性質 と深く切り結ぶことによってこれまでの音楽の「外」に出ざるを得なくなった、ぼくたちと同時代を生きるミュージシャンが数多く登場してくる。『「ex- music」とは、文字通りの意味で「外=音楽」であり、また「かつて音楽であったもの」ということでもある。exはexceptionalのexでもあ るし、experimentalのexでもあり、あるいはextrasensoryのex、ことによるとexhaustedのexかもしれない。』(あと がきより)
映画批評と音楽批評を同時に書き進めることで自身のキャリアをスタートさせた佐々木氏は、レンズとフィルム、マイクロフォンとレコードという、近代がぼ くたちの「外」に作り出した「眼」と「耳」の働きについて常に考え続けて来た。ぼくたちの知覚と認識と記憶は、ぼくたちの「外」に生まれた「眼=映画」や 「耳=音楽」との関わりの中でどのような変化を被ることになるのか。氏の関心は常にそうした所にあり、また、さらに言うならば、佐々木敦はそうした自身の 外側にあるメディアのひとつとして、フィルムやレコードと同じような姿勢で「ことば」の存在を意識している、ぼくたちの世代では数少ない批評家であるよう に思われる。「ex=そと/ほか」や「最後から二番目」といった言葉によって常にズラされ、振動し続けるように設置された氏の思考の焦点は、これからもさ まざまな現象の「危機的=批評的」ポイントに結ばれ続けてゆくに違いない。
最後に、『ex-music』をさらに「外」へと向かって押し広げるために、この本と問題系が重なる何冊かの書物を紹介しておきたい。先日同氏が上梓し た『テクノイズ・マテリアリズム』(青土社)では、本書における思考が原理論のレヴェルで展開されており、是非とも併読をお薦めする。フリー・ジャズから はじまり、現在の即興演奏へとつながってゆく「インプロヴィゼーション」を巡る事象は上述の二書における佐々木氏の主要な関心のひとつであるが、清水俊彦 氏の『ジャズ・オルタナティヴ』(青土社)を読むことで、読者はその運動の軌跡を辿ることが出来るだろう。若尾裕氏の『奏でることの力』(春秋社)は、音 と音楽との現在的な関係を巡った美しい本。きわめて実践的な示唆が多数含まれている。『ex-music』とタメるほど固有名詞が登場する『めかくし ジュークボックス』(工作舎)の賑やかな頁をぱらぱらと斜め読みしながら、読書と音楽鑑賞というアクションのあいだを出来るだけ大きく往復してみて欲しい とも思う。

2001年?

innminn 原稿:
タイトル:「男と女のいる厨房」
テーマ:「お花見にもって行きたい一品」

★お料理:「花わさびの三杯酢」

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★材料

・花わさび(または、葉わさび)
・塩、お酒、醤油(白醤油)、米酢(お好みで砂糖)

★レシピ

・花わさびを洗ってざるにあげ、少し多めに塩を振って手で揉む。花と茎の繊維組織がちょっと潰れるくらいの強さで。
・そのまま半日ほど置く。葉わさびの場合は2時間~3時間くらいでOKかな。
・置いているあいだに三杯酢を作る。酢の物のレシピは色々あるみたいだけど、米酢とお酒とお醤油を1・5対1対0.5くらいの割合にして火に掛け、アル コールを飛ばして作ったものが一番あうのではないでしょうか。お好みで砂糖も加えてください。白醤油を使ったほうが山葵の緑が活きて綺麗ですね。
・十分に時間が経ったと判断した後、軽く水洗いしよく水気を切って冷ました三杯酢につける。
・直ぐにでも食べられますが、しばらくつけてからの方がより美味しいかと。冷蔵庫で一週間位は持ちます。

★コメント

寒も明けて、3月が近くなってくると八百屋さんの店頭に葉わさびや花わさびが並んでいることがあります。これはホントこの時期にしか食べられないものなん で、一束200~300円程度で売っているのを見つけたら是非一度ご購入をお勧めします。だいたいこうした香の強い野菜は一度湯掻くことが多い訳ですが、 これは上記のように塩揉みにしてしなっとさせ、酢に漬けて食べた方が断然美味しい! です。丸本淑生先生のご本を参考にしました。
葉わさびより花わさびの方が刺激が強いので、ちょっと長めにざるに上げてきましょう。よく酢を絞って行楽弁当の隅に入れておけば、お酒で舌が疲れた人に大変喜ばれる一品になるのでは、と思います。もちろん白いご飯にもよく合うよ!

インプロヴァイズド・ミュージック・フロム・ジャパン一号

Ami Yoshida interview (2600ward)

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横隔膜から肺、喉頭から口内、そして舌と唇……。人間がコントロール出来る部位のなかでも、もっともやわらかく繊細であるこうした「声」を巡る器官を 使って、吉田アミは、ぼくたちがこれまでに聴いたことがないようなサウンドを作り出してゆく。彼女は呼気が通り抜けるすべてのパイプ・ラインに慎重に耳を 傾け、息の上下に従って身体のなかから極小の軋み、歪み、擦れ、捩れの音を取り出してくる。それは言葉を発すること、自分の意思を記号化して誰かに伝えよ うとする身体活動とは、同じパーツを使いながらも随分と異なった作業であるといえるだろう。誰も気がつかない、自分のなかのわずかな軋みや捩れの音に耳を 澄ますこと。伝達されることを前提とする言語やピッチ・システムの明晰さから離れ、そのような<slight sign(微かな印)>の側に立つことは、記号化がそのまま管理化を意味する社会において最も必要とされるアーティストの振る舞いであるだろう。この秋 cosomosとastro twinという自身のメイン・ユニットで二枚のアルバムを発表し、ソロ作品の準備も進めている吉田アミに自作について語って貰った。
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―――吉田さんは今年リリース・ラッシュですが、これは昔から約束していたものが今年になってまとまってリリースされた、という感じですか?

●「そうですね。UMUのやつ(『. / AMI』・【UMU】)と、あと幾つかのコンピレーションは今年に入ってからの企画だったけど、cosomosとastro twinは前からアルバムを作る予定がありました。F.M.Nからのリリースも厳密に言えば今年決まったものなんですが……。」

―――F.M.Nのもの(『Astoro Twin+Cosmos』・【F.M.N.Sound Factory】)はイギリス・ツアー(2002年3月)時のライブを中心に作られていますが、これは初めからそういう企画だったんですか?

●「いや、決まっていた訳じゃないです。このツアーで録ったライブを出すって約束をしてイギリスに行ったんじゃなくて、たまたまその時の演奏がかなりいい 出来だったからそれを使ったんですね。ライブが終わった後に、演奏よかったなーって思って、で、録音したものを聴いてみたら、案の定繰り返し聴くことに耐 えるサウンドになってたんで、じゃこれでいいか、と四人(中村としまる、Sachiko.M、ユタカワサキ)の意見が一致しましたので。」

―――同時期にErstwhileからもcosmos単体での新作(『Tears』・【Erstwhile】)がリリースされていますが、F.M.Nのアルバムと何か異なっている点があるならばお話いただけますか?

●「異なっている点というか、どちらもライブ・テイクが元になっているんだけど、マスタリングの質がこの二つのアルバムは随分と違いますね。 『Tears』はcosmosの事実上のファースト・アルバムなんで、二人がどういう音で何をやっているのかをなるべく分かりやすいようにしよう、ってこ とで、実際のライブの出音は、その時会場の後ろ側に座って居た人とかは聴き難いくらいの音量だったと思うんだけど、CDではくっきりはっきり、音がイタイ くらいのレベルにまで立ち上げてパッケージングしています。プロデュースをしてくれたジョン・アービーの意向も反映されていて……演奏している時に、たま にサイン波と声が同調して、モワレというか、モジュレーションみたいな響きになることがあるんだけど、そういう感じがよく聴こえる音になってると思う。ラ イブは会場のざわつきやPA環境なんかも含めて一つの演奏だと思うので、そのときそこだけで響くサウンドってことで音が聴き難いことがあってもいいと思う んだけど、録音物はそうはいかない。リスナーの環境まで想定できないからなるべく、出来るだけ細部まではっきりと作るほうが親切だと思う。こういった作業 はもちろん、みんなが気を配っているところだと思うんだけど。」

―――Astoro TwinとCosmosという二つのユニットについて、アミさんが考えているそれぞれの特徴があるとしたら教えてください。

●「どちらもデュオで、しかも演奏している人間の片方が同じ訳だから、はじめのうちはあんまり違ったことが出来なかったんだけど、最近ではどんどんこの二 つのユニットの差が明確になって来て……。いまではそれぞれまったく対極のことをやっていると言ってもいいくらいだと思う。Cosmosは美しい音を集め て、出来るだけ汚い音を出さないようにして演奏するって言う意識がはっきりとあって、私のなかでは、さっちゃん(Sachiko M)との音の絡みも含めて、綺麗な「音」を出そうという目的で声を出しています。音楽的にいいものを作ろうと思っているというか。Astoro Twinはそのまったく逆で、音楽的なものを作ろうとしてやっている訳じゃない。何というか、これまでに殆ど使われてこなかったゴミみたいな音の素材をお 互いにどんどん響かせてみて(声だけじゃなくて、マイクで床を擦ったりとか)、その出した音どうしも全く連続性がなくて、しかも川崎さん(ユタカワサキ) の音や行動ともこっちは完全に無関係だから、共演方法としてもまったく機能していない、ゴミみたいなアンサンブルで……、ある意味一番音楽になりにくい 音、演奏方法を選んでやっているって感じです。でも、そうやって集めた音が物凄く具体的というか、瞬間的にしか存在しないんだけどすごくはっきりとしたサ ウンドとして聴こえる時があったりもするんですけど。あと、よく誤解されるんですが、どちらのユニットでも私の声には一切エフェクトを掛けていません。サ ンプラーにも取り込んでいないし、PAでいじったりもしていない。最近は手元にコンパクト・ミキサーを置いてそれで音量を調節しているけど、声と出音のあ いだにあるのはそういったアンプリファイアーだけです。マイクにエフェクターをつないで音を変化させたり、空間的処理を付け加えたり、って作業をすると、 出音が使うエフェクターなり、それをミックスしてくれる人の音楽性に還元されちゃう訳ですよね。エフェクターに興味がないという訳では必ずしもなくて、出 音が面白ければエフェクターを使ってもいいけど、たまたま生音の方が自分の欲しい音が出るので使っていないだけですが……Cosmosのライブを見た人に よくエフェクトの話とかされて、Cosmosは特に綺麗に「音楽」をやってるからそう思われるのかもしれないけど、全部自分の身体だけで出せる生の音で演 奏しています。」

―――エフェクターは使っていないと。でも、マイクロフォンの顕微鏡効果というか、音を増幅して元の音とは異なった響きとして聴かせる能力からはいろいろな発見があったのではないでしょうか?

●「演奏しはじめた一番初めは本当に、喉とか口内とかの音を耳で聞いてそれで演奏していた訳だけど、マイクやミキサーを自分のものとして使い始めてしばら くすると、マイクで拾えるいままで聴こえなかった音とか、音の細かい表情や特質みたいなものがまた改めて意識できるようになって……、技というか、素材の バリエーションが増えたと思う。こんど作るソロアルバムは、そういった、いま自分が出せる音を素材別に整理した図鑑のようなものになると思います。」

―――ありがとうございました。楽しみにしています。■

STUDIO VOICE 2006?

<Studio Voice> DISKガイド10枚

大谷能生

「まだまだ音楽を作るために参考になる10枚~20枚」という感じで選んでみました。もう10年来聴いているものも、つい最近出会ったものも区別なしに 入っていますが、こうやって選んでみると最近の自分の関心が何処に向いているのかが正直にあらわれていて、めずらしく? 個人的なファンタジーに基いたリストになっています。リズムと音色の配分から偽史を導く作業に向けて。

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●「Place Vendome」/MJQ with The Swingle Singers

ビートルズのアップル・レーベルからもアルバムを出しているMJQ=モダン・ジャズ・カルテットは見た目はクールだけど、多分ジャズ史上一番気が狂って いるグループなんじゃないかと思う。ジョン・ルイスの妄想力は時空を超える。このアルバムはパリでフランス人を中心にした八人組の混成コーラス・グループ と共演したもので、なんというか、いまこんな音楽を演奏してるグループがあったら絶対見に行く。

●「Nouvelle Vague 」/OST

仏つながり。ゴダールの映画「ヌーヴェル・ヴァーグ」から、会話や物音も含めてサウンドの全てをCD二枚にパッケージングしたもの。劇中で使われている 音楽の殆どがECMの音源だから出来たことだろうけど、ミュジーク・コンクレートってどうしてフランス人と相性がいいんでしょうか。食べ物? リュック・ フェラーリの全集とか出ないかな。

●「Step Across The Border」/Fred Frith

サントラと言えばこれは大変良く聴きました。自分史的には九〇年代を代表する一枚。でも収められている演奏自体は七〇~八〇年マナーで、実はこの辺りの ポスト・フリー・インプロヴィゼーション・ミュージックって今まったくアクセス出来なくなっているんじゃないだろうか。欧州の広さと、そこから米国までの 距離がそれぞれどれくらいあんのかってことを改めて思わせるフィールド・ワーク。

●「original music for PINERO」/Kip Hanrahan

このあいだ渋谷の飲んべえ横町でキップ・ハンラハンとおでん食べて焼酎を飲みました。その時クラーヴェの話になって、「日本のクラーヴェはスタジアムに 行けば判る。勿論ベースボールのスタジアムだ。あの応援のリズムこそがジャパニーズ・クラーヴェだ」みたいな話をしました。あとヘンリー・ミラーの「黒い 春」にサインして貰った。「あなたの音楽を聴くと、ブルックリンを描写したこのミラーの自伝的小説を何時も思い出します」。

●「The Thelonious Monk Trio」/Thelonious Monk

変なシンコペーションの付いているモンクの曲/フレージングにアート・ブレイキーのポリリズム・ドラミングが絡んで、もの凄い抽象度が高いのに曲自体は 手のひらサイズっていう、不思議なスケール感の曲が詰まったアルバム。やってる事とか曲の構造とかは細部まではっきりと見えるんだけど、何度聴いてもそれ がどういう仕掛けになってるのか納得出来ない。こういった芸術がもっと欲しいな。

●「Love Cry」/Albert Ayler

アルバート・アイラーのアルバムではこれが一番好きで、それはアイラーのアルトの音色が好きなのと、ミルフォード・グレイヴスのドラミングが素晴らしい から。このアルバムも凝縮された曲が並んでいて、極彩色の軍楽隊+ラテン+ゴスペル+コズミック・ソウルが沸騰している。アイラーのヴォーカルも最高。

●「The Best of Jelly Roll Morton: 1926-1939」/Jelly Roll Morton

ニューオリンズからやってきた巨匠の中でも最もラテン・フレイヴァーに溢れていて、なおかつヨーロッパ・クラシック音楽の教養が感じられるモートン。彼 の曲も複雑ですねー。カリブ海の首都としてのニュー・オルレアン。非常に映像喚起力があるサウンドで、フレッチャー・ヘンダーソン楽団とデューク・エリン トン楽団と聴き比べると色々と考えるところがあります。

●「カメラ=万年筆」/MoonRiders

複雑で凝縮されていて、で、映像喚起力を持っている三分間ポップスということで思い出したのがこのアルバム。何時でも聴けると思って人にあげちゃったか らいま家にないんだけど、凄く聴きたくなってきた。テープであったかな? スピード感があって、パーツに分解出来て、なおかつポップっていうバンドは、い まの日本だったら誰になるんでしょうか?

●「SIiverization2」/V.A.

あるいは、360°の「サーキット・ブラジレイロ」。テクノ、ヒップホップ、ジャズを独自の回路で結んだ、九〇年代後半の日本における最重要盤。ビー ト・ミュージックにおける音像のケース・スタディ。夜の気配が濃厚で、雨が近づいてくる匂いもワンルーム・マンションの窓越しに感じられる。SOUPディ スクはまだまだ健在で実に頼もしい。

●「Quartet for the end of time」/Olivier Messian

音色、旋律、その絡み方など、こういった現代曲のサウンドをモダン・ジャズ的な即興に取り入れる方法ってのはまだまだ探究出来ると思う。ロン・カーター がチェロを弾いてるエリック・ドルフィーの「Out There!」と、メシアンやバルトークを結ぶライン。メシアンのこの曲は、三〇〇年くらい後(または前)に、南米の地方都市にあるカトリック教会で礼拝 用にずっと演奏されているもの、と思うと俄然面白く聴こえてくる。ように思う。

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