2001年 サイトBK1

音の鳴る場所で 〔9〕: 2001.03.21 at新宿シアター・プー

平成になってから活発になった新宿駅南口近辺の再開発は、このあたりの風景を昭和時代の街並みとはまったく異なったものにしてしまった、と云うようなこ とを、東京育ちの知人から聞かされることがある。僕は昭和の新宿がどんな街だったかについて実際に記憶していることはなにもないけれど、ライブを見終わっ た後なんかに行きつけの安居酒屋で一杯ひっかけていると、どうしてもそういった懐かしい話がしたくなるという気持ちはよくわかるように思う。植草甚一さん に「僕はもう昔の東京を思い出すことはやめる」というタイトルの、胸を締め付けられるような小さなエッセイがあって、そのどうにもならない諦め具合が最近 ますます読み返すたびにぐっと来るようになってきている。同じ都市に住み着いてもう十年、僕もそろそろ昔のことを思い出したり出さなかったりする年齢に なってきているみたいだ。先月、新宿のちいさなライブもできるバー「シアター・プー」で、懐かしく思い出すことが出来るはずもない「騒乱時代の新宿」を、 しかし、殆ど肌で感じさせてくれるような、ぞくぞくとした時間を過したので、そのことについて書いてみようと思います。
「ホース」という超個性的なバンドのリーダーであり、ギター・インプロヴァイザーとしても内橋和久や植村昌弘といった巧者との共演を重ねている若手要注 目No.1のギタリスト宇波拓氏から、「Bunさんというギタリストを関西から呼ぶので見に来ませんか」というお誘いのメールを貰ったことがそもそもの きっかけでした。「昨年のFBIではじめてBunさんを見て、そのあまりにも真摯な演奏にしばし呆然としました。音数も少なく派手な要素こそありません が、一音一音を全身全霊を込めてものすごい集中力で弾くBunさんは本当に孤高の音楽家であるとしか言いようがありません。巨匠です。こうして東京で Bunさんをご紹介できることを大変嬉しく、いや、誇らしく思います。」という宇波さんのメールにひかれ、また、当人から「最近僕が企画するライブって全 然客が入らなくて」っていう話も聞いていたので、色々な意味で楽しみに見に行ったのですが、宇波さんの予言どおり、開演になってもライブを目当てにきたと 思われるお客さんはだいたい5,6人ほど(苦笑)。いや、それだけなら良くある話でまだいいんですが、シアター・プーの常連だと思われるお客さんがまった くライブのことを知らずに、中央のテーブルで談笑しながらお酒を飲んでいたんですね。しかもそのうちの一人の女の子はもう泥酔していて(笑)、隣の男に抱 きついて時々嬌声をあげています。ライブを見にきた訳ではないお客さんは、だいたいステージから一番離れたカウンターの席の方でお酒を飲むことになるんで すが、なにぶん客が少ないうえ酔ってるもんだから、「なに? ライブぅ?」って感じで、Bunさんがステージに上がってギターを弾き始めようとしている時 でも全然会話を止めようとしません。演奏がドラムスとか入った景気のいいものだったらまだ店の雰囲気もやわらいだのでしょうが、あいにくBunさんのライ ブはたどたどしいと紙一重の、無茶苦茶緊張感のあるギター・ソロで(笑)、ライブ・レコーディングの用意をしていた宇波氏が、「すいませんけれども、静か にお願いできますか」って声をかけて黙らせたそのテーブルからは、演奏が進むにつれむっつりとした不機嫌のオーラと「なんだよこの演奏」などの小声の文句 の声、それに「あたしね~」とか大声で一言言ってまた黙る酔っ払いの女の子の声などが聴こえてきて、すぐ隣に座っていた僕は演奏の素晴らしいテンションと 客席の異様な雰囲気に挟まれて、顔に必死の苦笑を浮かべながら、あのテーブルの連中が怒ってライブを中断させようとしたら割って入れるかなあ、などと考え ていました。Bunさんのギター、セカンド・セットで共演した宇波氏と角田亜人氏の演奏はかけ値なしに素晴らしかったです。例えていえばカン・テーファン とジョン・スペンサー(ブルース・エクスプロージョン)という、まったくつながりのない二人を統合して、しかもそれがキャバレーのミラーボールの下で演奏 しているかのようなBunさんの気配には本気で戦慄を覚えました。
結局演奏行為自体を止めるような動きは起きなかったのですが、演奏中も彼ら(特に泥酔した女の子)は騒ぎ続け、終了後、ステージに近寄って「おまえの演 奏はつまんねえんだよ。人に黙って聴けっていうんだったらそれなりの演奏してみろ」と捨て台詞を決めて帰って行きました。いや、いい演奏でしたよ、と僕が 言うと「し、し、仕方ないよね。も、もっといい演奏しないとね」と、Bunさんはすこしどもりながら答えました。その後も細かいエピソードが色々とあるの ですが、字数もオーバーしていることですし、今回はここまでで終わりにしておきます。

2001年、サイトBK1

音の鳴る場所で 〔12〕: 2001.05.28 at 新宿pit inn & 表参道GALLERY360°

5月になると僕は毎年、特に身体の具合が悪いというわけでもないのに、なんとなく仕事のまとまりが悪くなったり、ちょっとしたことで気持ちが後ろ向きに なったりとか、どうにも調子が出ないまま、一日くさくさして過すことが多くなる。理由は勿論よくわからないけれども、誕生日直前のシーズンは生命力ががく んと落ちる、っていうような話を批評家・仏哲学の丹生谷貴志氏がなにかの本のあとがきに書いており、それを読んでからは星の巡りのせいだからしょうがない ことだ、と考えることにした。いずれにせよ何事も捗らない一日、ひさしぶりに昼から東京に出て、学生の頃みたいに新宿ピットインの誰もいない客席に座って ぼんやりしよう、と思った。
都営新宿線・新宿三丁目の駅についたのは2時30分。ちょうどライブ開始の時刻だけれど、どうせ定刻に始まったりはしないので、僕は余裕を持って入り口 につながる階段を下りていく。同じ地下フロアにあるゲイ・クラブもこの時間ではまだ営業しておらず、おしゃれな格好であわただしく店を出入りしている彼ら の素敵な姿を見ることはできない。チャージを払って店の中に入り、古い知り合いでもあるギタリストの斉藤“社長”良一に挨拶をする。お前、なんでこんなと ころいるんだ/忙しいなか、わざわざ見に来たんですよ/なんだ、偉そうに、と、お互い顔に微苦笑を浮かべながら久しぶりの会話を交わす。今日出演するバン ドはweedbeat。SOUPDISKというレーベルから97年にアルバムを出しているので、もしかしてその名前を聞いたことがある人もいるかもしれな い。リーダー、ミドリトモヒデのアルト・サックス、社長のギター、AmephoneやTUKINOWAのアルバムにも参加している塚本真一のピアノ、リズ ム隊は中野雅士のベース、河本隆弘のドラムス、それにこのあいだも取り上げさせていただいた角田亜人がターンテーブルで加わる、という布陣だ。以前は確か 2ドラムス、2ベースという編成だったと思うのだが、ミドリ氏の話ではそれぞれ事情があって最近ドラムスとベースがひとりづつバンドから離れ、今回がこの 編成になってから初めてのステージだという。
お客は結局、2ステージを通して3人しかいなかった。いや、2人かな? 演奏は、いささかリズムにふくらみを欠くところがあったけれど、社長のギターも 冴えていて、集中力が途切れることなく聴くことが出来た。それぞれ個性の異なるピアノ・ターンテーブル・ギターという3種の音色をどのように配置してゆく かが、今後のパフォーマンスの鍵になるのでは、と思った。
店を出て地上に戻ると、もう6時近くだというのにまだまだ外は明るくて、雨の降る気配もないし、このまま歩いて表参道にあるGALLERY360°まで 行こうと思う。東京の道のことは詳しくないけれども、まあ、ゆっくり歩いても40分くらいで着けるはずだ。新宿からでもはっきりと見える、代々木駅前に出 来た、なんちゃってNYみたいなNTTの高いビルを目印にして、とりあえず明治通りの方向へと歩いてゆく。僕は新宿御苑を挟んでピットインの反対側に位置 しているアート&ライブ・スペース、代々木OFFSITEの横を抜けて(今日は確か秋山徹次、アストロ・ツイン、といったメンバーがこれからライブを行う はずだ)、明治通りを下り、キラー通り(なんで「キラー通り」っていうんだろう?)をついでに通って、南青山に出る。下北沢なんかもそうなんだけれど、こ のあたりの道は横浜のそれとちがって、細い路地のぎりぎりの所まで店が建て込んでいることが多くて、ウィンドウ・ショッピングが好きな人にはいいのだろう けれど、ただ歩きながらぼんやりしたい人にはちょっと息苦しさを感じさせるような気がする。新宿から表参道まで、結局1時間近くかけて僕は歩いた。前売り 番号43番の券を持って、僕はこれからGALLERY360°で小杉武久のライブ・パフォーマンスを見る。

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吉村光弘 アルバム「and so on」ライナー

「and so on」ライナー

このCDに収められているのは、2005年から2006年にかけて吉村光弘が行ったライブ演奏の記録である。だが、この記録から彼の「演奏」の痕跡を聴 き取ることは困難だろう。吉村はステージ上で、会場の響きをマイクで拾い、ミキサーで増幅し、手に持ったヘッドフォンから出力するという作業を行う。この サーキットに取り込まれた会場の響きはやがてポジティヴ・フィードバックを起こし、演奏会場は機材の内部で裏返しにされ、結果、いまあなたが聴いている高 周波の連鎖が生まれるという訳だ。吉村がステージで行うのは、この回路のセッティングと、演奏のスタート&エンド・ポイントの決定のみである。この「演 奏」の最中、基本的に彼は何も行わない。もちろん、両手に持ったヘッドフォンの位置関係が動き、それに従って高周波の音像は若干の変化を見せてゆくが、そ れは彼が選択して行うものではなく、審美的な判断はここからまったく抜け落ちている。実際、吉村がステージで自分の作り出している音を積極的に聴いている のかどうか、ということ自体も僕はあやしいと考えている。演奏しながら、しかし、まったく音の推移と結果には無頓着であること。こうしたある種の(矛盾と も微妙に異なった)ディスタンスネスとでも言えるようなものが、吉村の作品の特徴であると思う。
例えば、この演奏は会場に固有の空間性、その場の音の響きの特徴に強く影響されて行われる。だが、しかし、その特殊性は機材の作り出す回路の中で強力に 蒸留された結果、最終的な音響情報はどの場所でもほぼ似たようなものとなってしまう。どこでいつ演奏しても、得られる結果は結局一緒なのだ。だが、しか し、それはやはり演奏されなければ聴かれることはないし、また、聴衆は実際にそれを吉村の演奏として聴く。ある場所、ある時間の中でしか生まれ得なかっ た、しかし、どこでも在り得ただろうサウンド……そしてこのアルバムは、そんな吉村の演奏からそのサウンド部分だけを複製し、どんな場所、どんな時間にお いても再びそれを経験出来るようにしたものであるのだ。
いつ何処で鳴ってもいい、しかし、その場でしか鳴らされることの無かった音を、いつ何処でも好きな場所で聴くことが出来るものにもう一度導くということ。ヘッドフォンで鳴らされた音を、ヘッドフォンで聴くこと。
こうした幾層もの概念の反転に彼の魅力がある。演奏される音はつねに現象に、そして、それと同じだけ強く意味へと向かう。この存在の引き裂かれに触れ続けること。And so on.

ユリイカ2006年?

コラム

今年は横浜球場でおこなわれる高校野球の試合を見に行くことが出来なくて残念だった。横スタを使うのは開幕戦と、あと準決勝以降からだけなんだけど、だ だっ広い外野席でビール片手に高校生の熱闘を観戦するのは実に楽しい。家から歩いて十分の場所にスタジアムがあるのはなんて贅沢なことなんだろうと引っ越 してきてからいつも思うのだが、最近は忙しくてベイスターズの応援にさえ行けないくらいだ。横スタに一番通っていたのは無論一九九八年の前後であって、し かしもう十年近くも前のことなのか……。ベイファンの作家としては保坂和志さんが有名だが、僕にも優勝当時ベイスターズについて書いた詩のようなものがあ るので、ここでその一部を披露させてもらいたい。これこそ「詩と批評」!の雑誌に書かせて貰う冥利に尽きる。

松坂屋でビールを買って、伊勢佐木町の角を曲がり 外野席のライトが灯る前に 横浜球場へと急ごう
今年はベイスターズが優勝する年/そんな年はこの世紀には何度もない
高架の上の根岸線と併走して 波留敏夫が駆けて行くのが見える
関帝廟で神妙な顔をしているボビー・ローズ 彼の背中には天使の透かしが入っている
炎上するバスに飛び乗る駒田と川村 谷繁の投げたアイスクリームをキャッチする 群集の中で石井琢郎のユニフォームがはためいている
高く掲げられた斎藤隆の腕から 氷川丸ビアガーデンの切符が配られる
佐々木の姿は見えない
でも、この回が終る前に球場に向かえば 関内駅で人を待っている鈴木尚に会えるだろう
今年はベイスターズが優勝する年/そんな年はこの世紀には何度もない

ベイが優勝を決めた日に街頭で受け取った、養老乃滝の「飲み物オール100円」の号外チラシが僕の部屋にはまだ貼ってある。後半戦は何回くらい外野席でタネダンスを踊ることが出来るだろうか。

2月16日

昼に予定していた会合が流れ、終日部屋で蟄居し読書。雨戸も開けなかった。夜になって一人で吉田町のタウザーに飲みに出かけ、ルイス・ブニュエルを気取ってマティーニ(この店ではもっぱらウオッカ・マティーニばかりだが)を注文しながらユニット・グラモフォン用のシノプシスをメモる。なかなかはかどって嬉しい。調子に乗ってキンキンに冷やしたダイキリを二杯。外は今年一番の寒さであった。

2月14日

座り仕事が続き腰痛がひどい。寝っ転がりながら南区報を読んでいると、小型馬ポニーの乗馬が腰痛予防に役だつとの記事あり。さっそく横浜森林公園の馬事公園へ行きポニーに乗る。動物との触れあいを通じて筋力アップやストレスを解消させる介護予防策もこれに極まれりといったところ。馬上で飲むギムレット(ローズのジュースなんか使わない)がいい。山廃純米吟醸「時代おくれ」もいい。「利休梅」純米吟醸酒辛口のコンディションが悪かった事などすっかり忘れ、いい心持ち。爽快な気分で帰宅しチーズフォンデュをむさぼる。ゴボウがいい。庭にバナナとパパイヤの木を植える計画を一人で考える。

2月13日

一日虚脱状態。「利休梅」純米吟醸酒辛口はコンディション悪く残念。玄関で人の声がするから出て見たが、誰もいない。恋猫が喉を鳴らしながら数匹一晩外で網を張っている。「恋猫の 恋する猫で押し通す」「恋猫や初手から鳴いて哀れなり」

2月11日

批評本作業がはかどって仕方がない。ダンス入門後kmさんたちとの野毛で飲み、最後はウチで朝までレクチャー。登別温泉には一度行かなければならないと思っていたが、そのときは船で行くことになる。「冬の月」嘉美心純米吟醸生酒を飲む。今年も白桃酵母とはそろそろお別れ。