2月1日

昼までマイルス原稿の資料まとめ。3時から鎌倉でUzさんと三月にやるライブの打ち合わせ。面白くなりそう。情報処理にまつわるさまざまなスタイルの話、視覚と聴覚の差異についての話などで盛り上がる。目を動かしたとき、動かし終わった後から事後的に脳に情報が入力される、という話しとか。その後、高崎屋で日本酒を受け取り帰宅。夕食は久しぶりに関内のシチリヤで。釜焼きサラダ食べてたらRu君が一人で来て、我々と殆ど同じ注文でピザ食べ始めたので、思わず笑った。席を合流して歓談。

12月31日

いよいよ今年も大晦日、一年三六五日、日も暮れ年も暮れ、執筆演奏講義に録音、歯をくいしばり、泣きながら、セツナサにセツナサに燗をつけ、鍵盤を叩き、どうすることも出来なくて、若い者にまじって、不精髭、吹けなくて鳴らなくて、ああ無惨、その非情噛みしめて、それが人生、どうにもならぬ、それが己の拙きさだめ、あん人たちゃよか衆、色眼鏡、されどわれらがクセナキス、そのイアニスの、せむ術もなく、負けました、リング変調器のつまみをいじり、それが男、頭さげ、涙こらえて、縄暖簾、明日は明日のラフロイグ、その木枯らしは自分の胸に、しょせん叶わぬ、ああ俺って奴は、遂に開かず、やいシェーンベルク!どうしてくれる、その雑兵の心意気、強い奴はスイスイとアナライズ、クレバーボーイ、スマートガイ、そうじゃないんだ、違うんだったら、目の前が暗くなる、単にシャンペンに黒ビールを入れただけなんだ、しかし君が俺の腰の悪さを笑うことは許さないよ、全国のテンプラ学生を代表して俺が許さないよ、せんべい汁で産湯をつかい、姓は大谷、名は能生、能生なーりー、うっかりしました、うっかりしたでは済まないんだよ、サックスから火が出る、その冷や汗を、背なにマリンバ走れよ仔馬、俺という、その一生に、なんにもなくて愛の夏、ところは横浜伊勢佐木町、僕冷やし中華、妻ワンタン、落ちて嬉しき正弦波、俺の一生やっぱり駄目だったと自分に言いきかせる、その一瞬が韻文派の辛さ、わかってないね、あんたってひと、いや電子音楽の話じゃないよ、俺、わかっていると思っていたんだ、絶望なんて、あんたのセリフになかったはず、絶望なんて柄かよ、奇妙な味の話をしましょうよ、大衆のなかへ、そのドロドロの真っ暗闇、泳いで泳いで、バッドニュースベアーズ!コンニャク好きの赤ん坊、ぎらつく太陽ポッピーズ、わかってないな、どうなっちまっただ、通院なんかしやがって、大莫迦野郎、いっつおんけでいーや、来年もよろしく!

12月30日

10時半頃、川崎氏より「お昼ですが、これから鳥せいでたれ口でもいかがですか?」との電話。本当に俺を殺す気か!嫁の野暮用を理由に丁重にお断りし、もう一眠りする。年末年始クリア計画すでにして挫折。昼過ぎに宿を出て「三条へいかなくちゃ 三条堺町のイノダっていう コーヒー屋へね」と前田君と歌いながらイノダコーヒへ。前田君は今日も飲み会との事でここでお別れ。そのタフネスに脱帽。さすがはシャルトリューズの陶器ボトルを飲む男だ。大丸でちろみ君と待ち合わせて銀閣寺へ。それにしても足利義政というのは何とも奇妙な男だ。ちろみ君は「四畳半の起源は銀閣寺です」なんて言っていたが、調べてみたら現存する最古の四畳半であって、別に起源ではないらしい。適当な事を言う男だ。付近の民家には「ゲリラから文化財を守ろう」というステッカー。ゲリラね…。京都駅に移動して新幹線待ちでビールを一杯。それにしても京都駅ビルの構造のわかりづらい事。豊橋へ移動し、ご両親にご挨拶。胃潰瘍気味の旨をすみやかに告げ、早めに就寝。さすがに疲れた。

12月29日

6時起床、というわけにはいかない。なぜならイベントが終了して部屋に戻ったのが既に7時だったから。2時頃起床。前田君が淹れてくださった珈琲をゆっくりと味わいながら、少し漢籍にあたる。少しね。その後京都まで出てアーティストインレジデンスに移動。なぜかビル全体が青いビニールシートで覆われているので、工事中かと尋ねてみると「アートです」との事。自転車で赤垣屋へ行き、川崎夫妻、ちろみ君と合流。今年二度目の赤垣屋。うなぎとしめ鯖をまたいただく。やはり脂の処理が絶品。これもアート。ちろみ・川崎君は最初こそ「今日は熱燗を三人でひとつだけいただくことにしようと決めているんです」などと殊勝なことを言っていたものの、これまた絶品の樽酒をひとくち飲むやいなや、つぎつぎに注文し盃を重ねてゆく。禁酒中の私の前でのこのような振る舞いにはいささか腹が立ち「盃は薄手のものに限る。唇に触れるか触れないかの感じで、ひらりひらりと飲むのが良い。グイノミは嫌いだ。盃は薄くて、ひらべったいものでなければ…」と諌めたら、すかさず前田君が「お銚子というのはわざと使い方を難しくするのが遊びなんで、遊びを含んだ使いやすさが銚子の命ってわけだと思うんです…」などと聞いた風なことを言ってきたのでさすがに怒り心頭に発し、常温の樽酒を注文してしまう。けっきょく三人で二時間ほどの間に二升ほどの樽酒を飲んでしまった。読者諸君、もし私が肝障害で死ぬようなことがあったらその責任はちろみ・川崎君にあると思ってもらいたい。戦争は人を殺すが、殺人もまた人を殺す。ちろみ君が店を出る際に、お店の若い衆(そういえばこいつ一人だけ態度が悪かった)に足を無理やり取られ憤慨していた。なだめながらK6へ移動してタリスカ、マティーニ、シュルトリューズ等。みんなアート。K6では最初の一杯こそちろみ・川崎君は気を遣ってレッドアイなんてものをオーダーしていたものの、モルト一杯600円フェア開催中に気づくと卑しい彼らは眼の色を変え「大谷さん、これは飲まないと損ですよ」などと、強引にタリスカ18年、シグナトリーのノースブリティッシュ25年、ダグラスレインのポートエレン1978などを私の目の前にずらりと並べ、あげくの果てには「バーテンダーの腕を見るにはドライ・マルチニに限りますよ」などと言ってさらにアルコール度数の高いものを飲ませようとする。さすがに朦朧としている私にシャルトリューズのエリクシル・ヴェジェタルを飲ませるちろみ・川崎君。ちなみにエリクシル・ヴェジェタルのアルコール度数は71度である。このあと意識を無くし、気がついたらちろみ・川崎君のお気に入りのキャバクラの中。綾瀬はるか似のキャバ嬢美紀ちゃん(仮)に「あなたが好きなことができるのは誰のおかげだと思ってるの!」などとさんざん絡まれる。息も絶え絶えに「あなたくらいの年齢だと、きっと世の中に怖いものなんてないんでしょうね」と皮肉で返すと、美紀ちゃんの顔が急に曇り「あたし、饅頭が怖いんです…」なんてことを言う。落語じゃないんだからと一笑に付そうとすると「そうじゃないんです!饅頭は饅頭でも栗饅頭なんです!」。この一言で意気投合。すっかりいい気分になったちろみ・川崎君はクリュグの1990年を三本も頼み、断りきれずに私も一本強、空にしてしまう。記憶はほとんど残っていないが、美紀ちゃんの問いかけが今も心に響く。「巨人軍の王と長嶋は、堀内の球を打てるかしら…。堀内が、もし、他の球団にいたとして、打てるかしらね…。堀内と平松と、どっちがいいピッチャーなの…。堀内が大洋へ行ったら、巨人軍は優勝できるでしょうか…」 。

12月28日

6時起床。斎戒沐浴。乾布摩擦。この年末年始は心も体もクリアにいく所存。ようよう、クリアでいこう。どこかで聞いたセリフだな。今日は日本橋RHBで前田君主催の忘年会イベント。音出しが終わったあたりでちろみ君から電話。今、京橋駅出てすぐの立ち飲み屋「まつい」にてねぎまで一杯やってるんだけど、会場がわからないので日本橋に着いたら案内してくれとの事。震える手で電話を切る。戦争も人を殺すが、平和もまた人を殺す。そして勿論、過度の飲酒も人を殺す。正直、僕、殺されるんじゃないかと思った。関西でちろみ君と飲むという事は、必然、日電音・川崎氏とも飲む事になる。この二人と飲むとどういう事になるか。バイバインどころの騒ぎじゃない。この年末年始は酒は控えよう、そして勉強と少しの焚き火をしよう、夜は里芋かなんかで一杯ぐらいいいんじゃないかな、無論、「モンラッシェを持ってこい」なんて言語道断、香港発緊急電、カニカニ大合戦だ!と思っていた矢先にこれだものなぁ。ちろみ君、笑顔で開口一番、「これからは松本日之春の時代です!」。そんなわけないじゃないか。イベントは一言で言うと柿の葉寿司。ドラムとかも叩きました。終了後、前田家に泊めていただく。就寝前ふと窓に目をやると、なにかの蔓が桟に絡まっている…。

12月27日

5時半起床。乾布摩擦。落ち葉で焼き芋を試みるが失敗。豆乳と青汁。庭に来る野鳥の数が少ない。特に毎年やってくる四十雀の姿がない。暖冬のためか。午後イチで新幹線に乗って大阪入り。すかさず梅田たこ梅でコロ、聖護持大根などいただく。新世界BRIDGEでD.J=L.P名義の初ライブ。ややアイディア先行の感あり。だが充分な感触は掴めたと思う。打ち上げではホルモン鍋を前にして、とにかく節制につとめた。今回の関西行は長いのである。

12月26日

5時半起床。乾布摩擦。野菜ジュース。食生活は、脂肪、糖質、塩分、酒を減らさないといけない。それと運動だ。静物画を描く。いつでもそうなのだが、どういうわけか、絵でも書でも最初の一枚がよく出来る。また「失せ物を探すときは、探そうと思わないで家の中を整理する心持でやれ」という森鴎外の言葉を思い出す。町に暮の気分あり。険悪な顔で歩いている中年男がいたりして、これも暮のものだ。

12月25日

5時半起床。乾布摩擦。以前、書店フェア用の色紙を頼まれた。さんざん考えた末「野に野犬あり」と書いたらボツになった。「野に遺賢無し」の捩りだが、「野に野犬あり」は荒涼とした感じがあって、いまでも悪くないと思っている。仕方が無いので「つらいんです あたしほんとは つらいんです」と書く。夜は入谷なってるハウスで大谷能生、シマジマサヒコ、尾嶋優のトリオ。ミュージシャンとしての自分をまたしても量りにかける。課題は多いが得るところの多いステージになったと思う。夜、庭で焚き火をしていたら、近所の学生風カップルに注意される。

12月24日

6時起床。乾布摩擦。庭を掃き、水を撒き、焚火。この順序でやらないといけない。瓢亭の朝粥を模した鰹餡の粥で朝食。頗る体調が良い。史記は殷本紀に突入。暗唱するにつれ、グラマーが未発達な分、高度に発達したシンタックスの魅力に改めて大きな手がかりを得る。11時、前田来。某所の原稿「竹芝桟橋と帝国ホテル」を渡す。天気が良いのでネクタイをしめて前田君を見送りがてら散歩に出る。金文堂で表札用の板を買う。頼まれている表札を失敗してしまって、もう一枚書くつもり。浅草へ出て、並木の薮でお銚子一本、大阪屋でチキンライス。鴬谷まで歩いてしまおうと思い、根岸の横丁に足を踏み入れた。「おや珍しい」。喫茶店の婆さんが言った。花柳界の出らしくお白粉焼けがひどい。
「そんな格好もするんですか」
「たまには背広だって着ますよ…。しかしなんだか静かだね」
「バルブの影響でね」
「バブルでしょう。それに、いつの話ですか」
「なんだか知りませんけど、さっぱりです。客なんか来やしない」
まだ8時前だというのに、町全体が暗い。
「お師匠さん連中が駄目になった」
「駄目のメはメシアンの…ってやつだ。しかしまたどうして」
「どうしてって残業代ってものが無くなったんです」
「……」
「ホワイトカラーエグゼンプションって言うんですか、残業代が出ないそうです」
「ずいぶん勉強したね」
「いや、御手洗さんに聞いたんです」
経団連、恐るべし。
「おとついですか、旦那さん方が七、八人でもって挨拶に来ましてね。もう来られませんからって。お琴やってるのもいれば、お茶の稽古の方もいました。練乳につけたイチゴなんか食えるかって。その旦那さん方がお稽古の帰りに寄ってくれたんです。ああ、バルブの時代は良かった」
「バブルね」
「お師匠さん連中、あがったりです。お師匠さんだけじゃない、角の薬屋ね、精力剤だか強壮剤だか、あんなもんもさっぱり売れなくなっちまった」
「そうか、ユンケルンバでガンバルンバと思っても残業代が出ないんじゃあね」
「ですからね、残業のあとのモツ焼きで一杯もなくなっちまった。この頃のサラリーマン、みんな電車で帰るって、タクシーの運転手なんかも泣きですよ。腹いせにニューファッズのCDなんか窓から放り投げたりして、それで随分捕まったりなんかして」
「俺も電車に乗って早く帰ろうっと」
帰宅して先月引っ越ししたちろみ君の表札と川崎君に依頼された掛軸用の書を書く。調子が出ない。テレフォン・ショッピングで注文した高枝切鋏が届く。「浦安、橋の下の夏」著者校正。9時就寝。

12月23日

6時起床。庭を掃き、水を撒き、落葉を燃やす。プロテイン入り牛乳、野菜ジュース、パン、コーヒー。これからは健康に留意した生活を心がけようと思う。読者諸兄、これを私の禁酒宣言と受け取っていただきたい。今日は史記本紀の二巻目と周易下経を読み継ぐ。大いに参考になる。ラムネ瓶のスケッチ等して一服した後、イコノクラスム時の文献渉猟、写本生産の促進について調べる。畳を張り替えたら部屋が寒くなったと妻が言う。なるほど、朝目覚めたら空気が冷たいように感じた。