血液検査の結果が出た。悪い。肝機能と中性脂肪の値がイケナイ。なんとなく良くはないんだろうと思ってはいたけど、具体的に数字で説明されると呆然とする。単にお酒の飲みすぎではすまないようで、薬も二種類もらう。一ヵ月後再検査ということで、これから年末に向けてはっきりと「病人」宣言をして、節酒することにします。これから会う人、ワタクシ病人なんで基本イタワルように。学力は体力からだ! 子供も学生もぶん殴れ! 若いんだから立って飲め!(禁酒!)
投稿者: 大谷 能生
12月17日
朝起きると吐き気と鼻水が止まらないので、義父母を送り出してからさらに寝ている。面目ない。昼起きて仕事しながらヨメの帰宅を待つ。おかゆを作って食べる。夜は鳥つくね焼き銀杏入り。野菜の煮物。ブロッコリーとキャベツの炒め物。
12月16日
昼豊橋の父母が来る。昼食はみなで蕎麦。名店小嶋庵。元町、山手と散歩し中華街へ、悟空でお茶しようとしたが満員なのでローズ・ホテルへ。義兄義姉と合流し、福満園で会食。自分でメニューを組み立てたコース。食後、ケーブルカーで静かに一杯。と思ったがなんと満席! あの長い長いカウンターに奥まで人が座ってた。ケープ・コッドも貸切で、すごすごと家に戻る。フランク・シナトラのTVショウなどをDVDでみながら飲み直し。
12月15日
早朝5:00~起きて機材の配置換えその他。8時くらいにまた寝る。すぐ起床。11:30~美容院。短めに切る。戻ってサウンド&レコーディング・マガジンの取材。何もない。といったのに本当にウチまで取材に来やがった。コタツで肘をつきiBookを触ってる姿を写真にとられる。その他、家にある機材の解説。ほぼ半分がもらい物であること、電池で動くものばかりだということ、ものすごい行き当たりばったりに機材が増えてること、MIDIで機材をつないだことがまったくないこと、フィールド・レコーディングを¥5000のマイクでやったことなどを話した。面白がってもらえたようだが、記事は大丈夫か。カラーで3pだそうだ。終了後立ち飲み&万里。バカが喜ぶ西洋の遊びの話など。
12月14日
昼起床。やはり胃の調子悪し。大掃除開始でくしゃみも止まらず。色々と模様替え。午後からちょっと仕事をして、整体に行く。首の骨が3箇所亜脱臼とのこと。その他、肩こりがひどいのをチェック。胃にはキャベツとブロッコリーがいいそうです。家に戻って、横浜橋の南山亭でサムゲタン。一人一匹。うまい。ブロッコリーは大きなボウルに入れてかき混ぜながら食べる。キャベツは一つまるまるコンソメで煮て、逆さにして芯の部分をくり抜き、そこにポートワインを注いで食べた。家に帰って直ぐ寝た。
12月13日
昼11:30~からポリティコ3リハ。アイディアを出し合う。終了後かむらさんと待ち合わせ。CDをわたす。ジャズ喫茶「マチコ」へ。なかなか面白い店。その後渋谷へ。HEADZでサンプル追加。map小田さんから本を貰う。タワー5Fでパネルを確認。大島さんと一緒に並んでた。小雨が降るので機材が心配。八品さんと合流。コレオスでシャンパンを開ける。その後センター街の立ち飲みでワイン飲み放題。帰宅は22:00くらいだった。
12月12日
ここ数日胃の調子が悪く、特に朝起きたときムカつきがひどい。熱は無く、便は正常なのでノロではない。胃酸過多? 胃潰瘍? 意を決して病院へ。血液検査をしてもらい、薬を貰う。胃カメラ! 飲むかどうかは来週再診してからだそうで、ちょっと飲んでみたい気も。最近は鼻から入れるらしいが・・・。検査の鉄人になってみるのも一興か。
東京サーチ&デストロイ (サイゾー 5月)
ミラーボール落下事故があったのは六本木の「トゥーリア」でした! そして落下したのはミラーボールではなく「バリライト」という照明だった?らしい? うむ。
東京サーチ&デストロイ (サイゾー 5月)
何とも物騒なタイトルだが、別に都内各所を爆撃して回るとかそういう話ではないのでご安心を。ここ十年ばかり、人前に出てなんやかややったり、音楽について拙文を書き散らかしたりしているうちに、何時の間にかいろんな所に義理が増えて、それ自体は嬉しいことなんだが、どうも最近フットワークが鈍ってないか? まだまだオレもまとめに入る季節じゃないんだけどな……と思っていたところ、突然サイゾーから「東京のカルチャー・シーンについて何か書きませんか」という連載の依頼が。–これは以前の様に、また当てもなく街中をウロつく良いきっかけだ。ということで、これから毎月、まだ海のものとも山のものとも分からないムーヴメントを捜索し、実際にその現場に足を運んで、焼跡から立ち上る煙の匂いを嗅ぐようなやり方で、東京近辺の文化的状況のレポートをしていこうと思う。
さて、色々考えた末に大学を辞めてから、教育とか管理とかいった行為からきっぱりと手を切った生活を送ってきた訳だが、たまたま菊地成孔氏と一緒に東京大学で講座を持ったことがきっかけで、最近では「ジャズの歴史について喋ってください」というような講師の仕事がぽつぽつ入るようになって来ている。演奏と比べて準備が簡単なので、恐縮しながらも毎回楽しみに引き受けさせて頂いているが、最近では四月二二日に渋谷・宇田川町のcoqdo recordsというレコード屋でおこなったレクチャーが特に面白かった。「ドリル」というイベントで、コンセプトは「クラブ+授業」。ゲスト講師のレクチャーとホストDJによるフロア・タイムがハーフ&ハーフに行なわれ、<21世紀のパーティーピープルは学んで踊るのだ。>という触れ込みである。講義は何をやってもいいですよ、という話だったので(実はこれが一番困るのだが)、大友良英氏が二〇〇一年に作曲した『ポータブルオーケストラ・家電編』という作品を皆に演奏して貰うことにした。これはON/OFFによって何らかの音が出る家電(電動ヒゲ剃りやドライヤー、携帯ゲーム機など)を「楽器」と見なし、あるルールに従って各自がそれを「演奏」するというかなり実験的な作品で、演奏者には音とその構造への関心と、こういったある種馬鹿馬鹿しい作業に真面目に付き合う度量が求められる。きちんとした演奏になるかな? と心配だったのだが、演奏が始まってみるとお客さんも含めて皆素晴らしい集中力で、宇田川町という巨大なレコード分配所の片隅に、実に味わい深い静寂を作り出すことが出来た。最近の学生は随分と許容力があるな。オレの若い頃だったらこの試みは無理だったんじゃないか。
毒を喰らわば皿まで、という訳ではないが、「自主講座」ときたら次は「デモ」だろう。丁度その「ドリル」の次の日、早稲田で学園闘争の支援集会があるというので、いい機会だから野次馬として見に行くことにした。が、これは結局、学内の問題だけに収まってしまう、大学のあり方について論議する場に過ぎない様だったので、拍子抜けして途中退出。小奇麗に建て直し中の大学構内を散歩し、大隈講堂前でしばらく、そういや、ウチの両親は「うたごえ喫茶」で知り合ったとか言ってたな、と、往時に思いを馳せてみた。サーチ&デストロイ。
大島輝之 「into the black」ライナー
堀江敏幸さんは木山捷平文学賞と谷崎潤一郎賞も受賞してた。つまり名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王を取ったことがあって、王将戦の挑戦者にも何度かなっている、ということだ。凄い。
大島輝之「into the black」のライナーです。これ読んで興味を持った方は是非、アルバムを実際に聴いてみてください。
大島輝之 「into the black」ライナー
2005年の春に、僕はEWE/BodyElectric Recordsから初のプロデュース作品、『Le son sauvage / Tokyo Nest Texture』をリリースさせてもらった。これは、「2001年以降に現れた、あたらしい音楽的潮流」を体現しているバンドを集めたコンピレーションであり、(その「潮流」とは一体どんなものなのか、ということについては、是非、実際にアルバムを聴いて確認してもらいたいところなのだが)東京のオルタネィティヴ/インディペンデントなバンド・サウンドの持つ可能性の拡がりを一挙に見ることが出来る、画期的なものに仕上がったと自負してる。参加してくれたミュージシャン/グループはみな現在でも現役バリバリで活躍中であり、この一年の間にsim、Dill、飛頭、Ryusenkei-Bodyがアルバムを発表し、また、GnuとDillはこのBodyElectric Recordsからさらに今冬作品のリリースを予定しているという。どのバンドの作品も素晴らしい出来映えであり、今後も実に楽しみなのだが、ここにまた一作、sim/Circuit Unconnectionのリーダーである大島輝之のソロ・アルバムが完成し、レーベルのカタログは更なる充実を見せることになった。
大島輝之は1971年生まれ。89年よりギターを始め、ロックバンドやテクノユニットなどでの活動を経て、95年頃から即興演奏のシーンで演奏を行うようになり、進揚一郎(ds、per /現在はoptrumなどのバンドで活躍中)、DJ Peaky(tt / ソロの他、現在はsangatu,zuppa de pescaなどに参加)とともに「経堂即興楽団」を結成。その頃、緩やかにではあるが確実に変化が始まっていた東京のインプロヴィゼーション・ミュージックの現場において多くのミュージシャンと競演を重ね、実験的な演奏を試みてゆく。大島のライブ履歴を参照しながら、この時期の共演者を辿ってゆくと、内橋和久、沢田穣治、大友良英(まだ始まったばかりであったfilamentとの企画などもある)、山本精一といったひと世代上に当たるミュージシャンから、宇波拓、吉田アミ、ユタカワサキといった「1976年」組、名古屋の臼井康浩、鈴木茂流、また、フリー・ジャズ的なパワープレイも得意とする松本健一やつの犬、それに藤原大輔や沼直也といったクラブ/グルーヴ・ミュージックを主戦場とするミュージシャンまで、実に幅広い面子が並んでおり、驚かされる。さまざまなタイプの音楽家と共同で作業をすることが出来る、という事が、インプロヴィゼーション・ミュージックの最大の特徴であるとはいえ、90年代の後半に存在した一種の混沌とした状況、あらたなサウンドが固まり始める直前のシームレスなライブ・シーンの雰囲気が(sim-lessという駄洒落ではないのだが)、大島の演奏履歴にははっきりと刻まれているように思う。
自分の企画を中心にして独立独歩で即興演奏を続けてきた大島は、2001年にリーダー・バンド「feep」を結成。このバンドには僕も参加しているのだが、「各楽器間の異次元アンサンブル。音の隙間と密度を追求」しながらも、沼直也(ds)、Fukuda Ryo(b)というハード・グルーヴィンなリズム・ユニットと、ハウス以降のアンビエントな音空間にフィットするBucci(tp)のトランペット・サウンドが重なり合うことによって、アルバム『The Great Curve』(mao)ではアブストラクトかつリズミカルな音像を、既存のジャズ・バンド的なテクスチャーの中から立ち上げることに成功している。
この時期、彼は僕の質問に答えて、「個人個人はわりとオーソドックスな感じなんだけど、いろいろと組み合わせで面白いことが出来ないかなぁ、という感じで・・・無関係なようにみえて、ほんとは無関係でないっていう。」と述べている。それまでの大島のギター・プレイは、エレクトリック・ギターとエフェクターをほぼ等価に扱い、弦の音を電子回路の中で分離・増幅・反復させ、それによってもともとの音に含まれていた複数の速度を顕在化し、そのずれから新たな音楽構造を見出してゆく、そのような作業が中心だったように思う。Feepというバンドは、エレクトリックな即興演奏の環境で得られたこうしたあたらしい速度の感覚を、再び手の中に、「ギター」という楽器を弾く自分の指先の上にダイレクトにつなぎ合わせること、そしてまた、そこで実現されているズレの感覚をステージ全体にまで広げ、共演者同士が自発的に、リアル・タイムで異なった関係を取り続け、それによってさらに幾つもの異なった時間が折り重ねられてゆく、そのようなサウンドを目指していた。そして大島は、こうしたコンセプトをさらに厳密に追求するために、2003年から自ら音楽におけるすべてのパートを書き下ろし、自分がギターから手に入れた歪みと軋みをバンドによってさらに正確にリアライズする、という試みに向かう。そのプロジェクトがsimである。
アルバム『sim』(weather)に収められた各楽曲は、彼が90年代に試みていた即興演奏の時間の感覚を、一曲ごとにあらためて辿りなおし、磨き上げ、固定化させることで作られたものである。ぎくしゃくと不安定なままで結晶となっているそれらの曲に、僕は、幾つもの時間/空間を跨ぎながら生活してゆく僕たちの日常の基本的なリズム感覚、きわめて現代的な速度のあり方を強く感じている。こういった曲を、バンドの一員として、植村昌弘(ds)とともにステージで力動化する作業に参加できているのは、僕の最大の喜びである。
さて、ここに届けられた大島輝之の1stソロ・アルバム、『into the black』。現在、僕は6度目か7度目かのリピートに入りながらこのライナーを書いているのだが、ともかく、まずは参加しているミュージシャンたちの、それぞれの特徴的な音色に耳がそばだたせられる。アルバムのコアとなっている、守屋拓之のコントラバスと、植村昌弘、芳垣安洋、それプラス曲によってはイトケン、というリズム・ユニットのシャープさ。このユニットの優秀さは特に4曲目と5曲目において明らかだろう。LRが微妙にずらされているこのリズム・パターンは、その処理の精密さから考えて、ポスト・プロダクション以前にその音の像が完全に見えていた、つまり、作曲段階から仕込まれていたものだろう。ただ単に「自由にやる」だけでは絶対にこうしたアンサンブルにはならないし、こういったスピードを得ることも出来ない。このようなリズムの上に、松本健一、藤原大輔 、後関好宏 、吉田隆一、大蔵雅彦(4曲目におけるバス・クラリネットの絶叫!)という当代切っての名手が揃ったホーン陣が重ねられる。それぞれ際立った個性を持つこのミュージシャンたちが並ぶことによって、サウンドのテクスチャーは静謐な曲においても、一種異様な熱をはらんだものになっている。長い間競演を続けてきた彼らの音色を大島は完全に把握しており、おそらく大島の頭の中には、曲作りの段階からはっきりとこのホーン隊の熱気が渦巻いていたのではないだろうか。Feepとsimによって試みられてきたテクスチャーとストラクチャーの止揚という難問は、音色まで正確にイマジネーションできるPC環境を応用した最新のデモ作りによって、相当なレヴェルで解決を見ているように僕には思う。Tuki-No-WaのFuminosukeによるヴォーカルの存在感も、このアルバムの大きな特徴だろう。
即興演奏によって得ることの出来る音楽的成果を十分に咀嚼しながら、大島輝之は、このアルバムによって、後の規範にも成りえるようなバンド・アンサンブルのあり方を見事に実現して見せている。即興演奏というものが、規範からの際限の無い逸脱によってその生命力を維持するものならば、この見事なエレクトロ・アコースティック・バンド・サウンドから、今度もまた新たな速度を持った「インプロヴィゼーション」が導き出されてゆくことだろう。それだけのポテンシャルがこのアルバムには含まれている。
ここに収められた楽曲の中に、繊細に差し挟まれている異なった時間/空間の接続を十分に意識しながら、それを頭の中で、あるいはキーをパンチする、あるいは楽器を触るあなたの指先の上で、さらにはステージの上で、どんどん実際に自分なりのやりかたでもってつなげ、または切り裂き、あらたな想像力を広げてみて欲しい。
12月8日
はっと気がつくと一ヶ月経っていたというこの感じはなんでしょうか。しかもそれを母親から携帯メールで知らされる始末。「前略。そろそろ朝顔日記を更新したらいかがでしょうか。ところで弟夫妻が第一子懐妊だそうです。たまには様子を見に遊びにいってあげてください。草々。」
そんな重要なこと「日記更新のついで」みたいな感じで教えないでください。めでたい。こちらも色々とありましたよ。11月-12月前半は、えーと、ライブ6本やって原稿5本仕上げました。ヴェルファーレとかバック・バンドの仕事で出たよ! メイン・フロアのミラーボールがマジでかかった。落ちてきたら下の人絶対全滅するくらい。巨大ミラーボールが落下して死傷者が出たのってどのディスコだったっけ。パラディウム? (気になったのでググってみたけどヒットしませんね。最近は南米でディスコ事故が多発してる模様。)
佐々木さんみたいにどんどん終わった仕事書いちゃえ。次号のイントキシケイト、巻頭位置でジョルジュ・リゲティの4CDBOXとカヒミ・カリイ「NUNKI」について計4000字書いてます。タイトルは「二つの支持体が。」
12月12日公開の「AA」(青山真治監督)に合わせて発売される間章入門書、『間章クロニクル』で青山監督インタビュー&構成と、「間章が批評したディスクを今の耳で聴いて、改めて批評を書く」という実に難儀な仕事をしました。10枚くらい対象ディスクを編集の方で好きに選んでもらって、それについての間の文章を引用しました。極北が。家の居間に。
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・アルバート・アイラー 『グリニッジ・ヴィレッジのアルバート・アイラー』
『彼が「四月の思い出」や「サマータイム」を演奏する時、それはコルトレーンやアーチー・シェップのようにメロディやテーマの破壊・異化作業としてそれを演奏するのではなくすでに<新しく別な何か>として演奏している。メロディ殺し、テーマ殺しは行われているがそれは演奏という破壊作業過程によってである以上に、あらかじめ殺されて転形・転身したものとして現れる。』(「アルバート・アイラー論ノート〔1〕」)
間章にとって、「新しく別な何か」と呼ばれるようなものは、これから人間が得る自由へのあたらしい可能性といったものでは全くなく、常に「不能」であるもの、人間的可能性のまったく立ち上がらない、何も燃やすことの出来ない青白い炎のようなものが、しかし人間の姿を取って現れるという、そういった矛盾したイメージによって語られるものであったように思われる。フリー・ジャズとは、間にとって、すべてのものが等しく動きを止めるそういった場所への直観を、世界の中でリアリゼーションする場所として存在したが、しかし、実際のフリー・ジャズ・ムーヴメントは60年代におけるアメリカン・ブラック・ミュージックの理論的/実践的解放の軌跡という限定された論点を外しては精査することが出来ず、この具体と抽象との間の距離が、間章の「フリー・ジャズ」論が錯綜を極めているひとつの原因であるように僕は思う。特に、全面的な生の肯定者であり、圧倒的な多産者であるアルバート・アイラーを自身の領域に引き入れるために彼が取るレトリックは、殆どレトリックの体を成していないという点も含めて、間章の資質をはっきりと照射したものであるだろう。ヴァイオリン、チェロ、ベースによるアンサンブルがアイラーのヴァイブレーションを受けてうねるこのアルバムのサウンドは、60年代フリー・ジャズにおけるグループ・アンサンブルの最高の成果だ。
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あとミルフォードとかレイシーとか、阿部薫とかヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかザビヌル・シンジケートとかセニョール・ココナッツとかベース・ボール・ベアーズとかクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーとか水中、それは苦しいについて書いてますので興味のある方は書店で見てください。すいません途中から嘘です。
あとなんだっけ。そうそう、大島輝之待望の1stソロ・アルバム『Into the Black』と、吉村光弘のこれも1stアルバム『And So On.』にライナーを書きました。
で、エスクァィアweb site「持ってゆくうた 置いてゆくうた 第二回目/ボリス・ヴィアン」も更新されてます。レクチャーでプレイした「Chloe」ですが、また調べているうちにどうやらガス・カーンが作詞を担当しているような? 情報を発見。ということはやっぱスタンダードでいいのかしらん。どうでもいいけど「ガス・カーン」っていい名前ですよね。
エスクァィア絡みではもう一つニュースがあって、来年1月に、web連載記念ご祝儀新春公開放談があります。文学と音楽についてたっぷりとダベりましょう。次号エスクァィア本誌で20名読者招待券がプレゼントが出るらしいですぞ。
もう一本あった! 古い知人のコロさんに頼まれて、『このマンガがすごい! オトコ版』にアンケートと、『闇金ウシジマ君』の紹介をちょこっと書いています。
一月貯めると流石にいろいろ書くことがあるな。一番大きなのはこれ。12月13日に大谷の1stソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』が発売されます。堀江敏幸さん(芥川賞、川端康成文学賞、三島由紀夫賞、読売文学賞の4冠作家ですよ。羽生善治並みである)の小説、『河岸忘日抄』の第二章部分を朗読し、音を付けた40分1トラックの作品です。下にデータを。
きわめて真摯に、こつこつ真面目に作ったのですが、すべて終わって改めて聴きなおしてみると、これは佳作とか傑作とかじゃなくて、なんというか、「珍盤」という括りに入ってしまうもののような気が・・・。十年後の「奇盤・珍盤二〇選」入り目標。まあ、堀江さんには喜んで頂けたみたいなので良かった。
12月のライブの告知はまた明日。新しいプロジェクトはじめました。フリー・ジャズ音源のBPMを揃えてグルーヴィーにつなぐD..J=L.PというPCDJ活動です。Dr.Jazz = Logic Pataphysique。djlp (小文字の方が見た目がいいかな)。
年末大阪行きます~。
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大谷能生『「河岸忘日抄」より』
GRAM0PHONE 1 / HEADZ 86
¥ 2,500 (tax incl.) ¥ 2,381 (without tax)
2006.12.13 on sale
音楽批評家としてだけではなく、菊地成孔との共著、simやmas他ミュージシャンとしての活動も目覚ましい大谷能生が初のソロ・アルバムをリリース。
HEADZ内でスタートする言葉(Gram)と音(Phone)のレーベル、GRAM0PHONEの第一弾作品。
ゲストとして、12月にeast worksよりソロ・アルバム『into the black』をリリースするsimの大島輝之、11月にvectors/HEADZよりueno名義でソロ・アルバム『ハスノス』
を発表したばかりの植野隆司(テニスコーツ)が参加。
ミックスはmasのヤマダタツヤが担当している。堀江敏幸の『河岸忘日抄』(新潮社)の大谷自身による朗読に、自ら作・編曲を手掛けたサウンドをミックスさせ、独自の録音作品を完成させた。
文字で書かれたものを、声に出して人前で読む。
そのときに生まれるいろいろな感情を、もうちょっと正確に把握してみたい、
というところから、幾つかの作品を作ってみようと考えました。
書かれた文字の中にはどんな声が含まれているのか。または、含まれていない
のか。
朗読と歌唱はどれだけ、どのように違うのか。
文字を声に出すこと、または、声を文字にすることで、何が失われ、何が生ま
れるのか。
詩を声に出すことは、誰かに唄いかけることではないのか。その誰かとは?
こういったことを、録音=再生メディアの存在が音楽流通の基盤となっている
現在、
つまり、聴き取ることが不能のままでも、たった一度しか存在しなかった声
を、
そのまま反復=記号の領域に刻むことが出来る現在の作品環境において、
あらためて経験してみること。
それによって「言葉」だけでなく、もう一度、「音楽」本体の幹も太くしてゆ
こうとすること。
こうした作業の手がかりとして、現在、日本で、もっとも素晴らしい散文をお
書きになっている堀江敏幸さんの作品をお借りすることが出来たのは、存外の幸
せでした。堀江さんありがとうございます。
雨月物語では、山中、西行の唄いかけに答えて、魔道に墜ちた崇徳院が現われ
ますが、
この作品を聴いてくれた人の暗闇に、少しでもあやしいものかげが動いてくれ
ればいいな、
と思っています。
2006年11月 大谷能生
原作: 堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮社)
朗読、作曲、編曲、演奏、録音、編集: 大谷能生
Additional player: 大島輝之(E. Guitar)from sim、Veno Tagashi(A.Guitar)
from Tenniscorts
Mix: ヤマダタツヤ(mas)
Mastering: 庄司広光(sara disc)
Producer: 大谷能生