チェルフィッチュ稽古立会い。PCを持って行って、稽古を見ながらとりあえずいろいろとサンプルを組み立ててみる。うーむ。終了後、福富町の韓国屋台で夕食。店の人と注文の仕方/出し方でちょっとバトる。
投稿者: 大谷 能生
八月二〇~二三日
特に用事も無かったのだが、飛行機に乗って博多に行ってきた。昼間はホテルで原稿を書き、夜は天神で酒を飲むという生活。あとで詳しく書くかもしれませんので、この項続く。二三の夜に羽田に戻り、そのまま246BOOKに直行してマンスリー・レクチャー「持ってゆくうた、置いてゆくうた」(漢字開こうかな、と)第二回「ボリス・ヴィアン」。第一回に続けて来てくれた人も多数で、感謝感謝です。肝心のヴィアンの作品についてはそれほど触れられなかった感じですが、彼自身の演奏と唄、当時のフランスの音楽、ディキシー、バップ、それにたっぷりのデューク・エリントンの音楽。ということで、音源はいい感じで紹介出来ました。終了後、エスクワイアの人と打ち合わせ。来月からこの企画が連載でサイトに載ることになりましたー。なりましたーと言っても、自分でテープ起こしからまとめるので、自分がきちんと動かなきゃ更新されない訳だが。文学寄りの仕事がようやっと動いてきた感じだ。
八月十九日(土)
朝帰り→昼起床。いろいろ細かい連絡を片付けてるうちに、あっという間に夜になる。『厩の食卓』にてビール。あたらしいフロアの兄ちゃんがきびきびしてて良かった。料理も以前に比べて随分シャープになってきたように思う。夏の間にもう一回くらい行きたい。
八月十八日(金)
夜からみるくのオールナイト・イベントに出演。みるくは広いから待ち時間も楽でよろしい。演奏はアゲアゲな感じで、目の前で女の子がガンガンに踊ってるとこっちも気合入りますね。楽しかった。
八月十七日(木)
14:00~サイゾー打ち合わせで新宿に。なーんと、ちょっと気配はあったのだが、僕を呼んでくれた編集のKさんが10月一杯くらいで退職されるそうで、それに伴って連載が路線変更orヘタすりゃ打ち切り、ということに。まーしょうがないか。今月は高円寺に行くことに決める。その後、代々木でフランス革命書籍化についての打ち合わせを門松君と。A4に内容をレイアウトしてきてくれて、相当イメージが見えてきた。とは言え長丁場は必至。出版社も探さないとなー。興味ある方連絡ください。冨永昌敬、ばるぼら、岡田敏規、岸野雄一、志人、宇波拓、Riow Arai、西島大介、狩生建志、小川てつオ、(音がバンド名)、杉田俊介、堀江敏幸(敬称略)らをゲストに、大谷が一年にわたってトーク&ライブしたイベントの記録本です。誰も手が挙がらなかったら自分で出しちゃおうかな。自主レーベルならぬ自主本屋で。その後mas練習して帰宅。
八月十六日(水)
『パビリオン山椒魚』原稿書き始める。ソロ・アルバム用の音源の最終手直し始める。最初のパーカッション・アンサンブルをもうちょっとどうにかバランスよく出来ないかどうか、全てのグリッドを外してコンマ単位で修正を加えるが、ドツボにはまってしまい取りやめ。アタマを冷やすために水風呂に入る。
八月十五日(火)
日に日に死者の気配が濃くなる八月の半ば、街角ごとに無用なものを燃やす炎が立ち上がり、豌豆を盛る椀の白さにディレイが掛かる。炎天の地上花あり百日紅(虚子)。朝顔は観察しない。
八月十四日(月)
15:00から渋谷でばるぼら君と、某ミニコミ用の対談。約2時間あまり思いつくまま好き勝手な事を言う。編集大変だろうな…。その後、横浜に戻ってチェルフィッチュの新作稽古をじっと見学。実は9月22-24日に京都でおこなわれるチェルフィッチュの新作公演に、音楽・音響協力という立場で参加することになったのでした。しかし岡田さんも僕もまだ、この時点ではどんな音をつけるのかは手探り状態。正直言って、いまはどうやっていいか全然わからん。楽しみ。顔合わせの飲み会やって帰宅。
八月十三日(日)
昼まで寝てたかな。よく覚えてないわー。
八月十二日(土)
逆リハなのでなんと12:00入りで青山へ。サウンド・チェック後、渋谷南口のウインドブロスに寄って調整をお願いする。ビルの窓から「古本市開催中」という看板が見えたので、東急ビルに寄ってみる。荷物が多いのであまりきちんと見なかったが、文庫とかいいものが安く出ていた。しばらく見て回って数殺求めたが、まだまだ時間があったので、丁度UPLINKでやってた豊田×宇波ライブをのぞきに行く。終演後、宇田川町裏の立ち飲みで一杯飲んでみんなと別れ、ようやっと会場に戻ってライブ。途中でタツヤのPCが止まるというハプニングがあって、結局一曲飛ばして演奏。うーむ。終ったあとは、うどんの中にしで打ち上げ。終電で帰宅。長い一日だった。