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10月22日

1925 ネブラスカのオマハで生まれる
1926 ウィスコンシン州に引っ越し
1930 ミシガン州デトロイトで、W.D.ファード師らが最初のイスラム寺院を建立
1931 小学校入学。父親、事故で死亡。白人至上主義団体による暗殺との噂も、実証されず。
1939 母親、精神病院に収容。万引きその他によりミシガン州の感化院におくられる。その後、メイソン校に入学
1941 第八学年を終えた直後、学業を辞めボストンに移る。さまざまな職業に従事。
1943 ニューヨークに移る。ニュー・ヘイヴン鉄道で働く。その後、ハーレムのスモールズ・パラダイスなどのウエィターとして働く。徐々にハスラー的生活に入る。
1946 窃盗その他の罪で逮捕。収監。
1948 弟、レジナルドから、ネイション・オブ・イスラムへの初めての勧誘を受ける。ノーフォーク監獄へ移される。獄中で読書と思索の日々
1952 仮釈放。デトロイトの弟の家に寄宿
1953 シカゴに移り、「ネイション・オブ・イスラム」に参加。ボストン第11寺院の導師となる。
1954~  ネイション・オブ・イスラムの導師として活躍
1958 ベティ・Xと結婚
1959 ブラック・ムスリムズについてのドキュメンタリー『憎悪が生んだ憎悪』、TV放送。以後マルコム、ラジオ、TV、大学構内その他のメディアでの討議、演説が増加。
1960 国連会議に参加中のフィデル・カストロと、ハーレムのテレサ・ホテルで会談
1961 ムハンマド師の病状悪化と、彼のスキャンダル事件
1963 ケネディ大統領暗殺へのコメントに関して、教団から90日間の謹慎を求められる
1964 教団から分離。「Afro-American Unity-Muslim Mosque Inc」を組織。メッカ巡礼を目的とした海外旅行。フランクフルトを経由してメッカ到着。その後Egypt, Lebanon, Saudi Arabia, Liberia, Senegal, Nigeria, Ghanaを旅行し、各国の要人と会合。5月にアメリカ帰国。OAAU (Organization of Afro-American Unity)組織を宣言。7月、ふたたびカイロをはじめ、アフリカ諸国、パリ、ロンドンへ遊説旅行。11月帰国。
1965 OAAU活動で多くの演説。二月、ロンドンとパリに行く。二月二十一日、オービュボン・ボールルームで演説後、暗殺者によって銃撃され、数発の銃撃を受けて死亡。

10月15~21日

Unit Gramphone 、Politico3s、mas、それぞれのリハとライブが重なった週。毎回都内まで出て行かなくてはならないので疲弊するが、それ以上に楽しい。あと、sim featuring Kamura Moe のアルバム『common difference』(MIDI)もリリースされました。これ、生楽器(ドラム)はすべてワン・ポイント・ステレオマイクで録音したものをそのまま使っているのですが、むちゃくちゃ音がいいです。その他はほぼ大島宅などでライン取り。録音&MIXやってる人は是非。
リハリハライブライブと都内各所に出るたびに行きたい店を沢山思い出し、おとなしく帰るはずもなく毎夜飲んでいましたので酒中日記風に。

15日:八重洲地下街ハセガワでシングルモルトをいくつか試飲。ほんの100円150円で色々な味が楽しめるのが嬉しい。グラスをいくつか買って帰宅。

16日:19時リハ終了後、中野の炙り谷で手鞠寿司をサカナに出羽桜をぐびぐび。久しぶりに吟醸酒をガンガン飲んだせいか目の前が暗くなる。単に電子的変調をきたしただけなんだ。そうさ。それが男、頭さげ、涙こらえて、縄暖簾、明日は明日のホワイトノイズ、その木枯らしは自分の胸に、しょせん叶わぬ、ああ俺って奴は、駄目のメはメシアンのメ!

17日:打ち合わせ後、神楽坂のイブパレスでサーモン、アボカド、アーティチョークのサラダとローストチキンでエルディンガーのヘーフェをぐびぐび。隣席、妙齢の女性二人組のワインとチーズに関するウンチクにげんなり。チーカマで呑でも飲んでろ。

18日:politico3s本番。終了後、高円寺の大将、モツ煮で燗酒をぐびぐび。きよ香で泡盛、最後はコンビニでチューハイを買い込み南口ロータリーの噴水の脇で飲む。

19日:masリハ。日本橋のフランツィスカーナーでほろほろ鳥をサカナにシュパーテンラガーをぐびぐび。連れがいつまでも「私は本当はビールじゃなくてマオタイ酒とか五加皮酒とか、そういうのが飲みたかったの。本当は。」とぐちぐち言うので切れそうになる。

20日:HEADZイベントをチラ見した後、ちろみ君の案内でゴールデン街をハシゴ。若干記憶無く、翌日財布を見ると覚えの無い名刺がちらほら。仕上げは明け方のメイドリフレクソロジー。なんとも不思議な世界。

21日:UnitGrampnone本番。連続飲酒でさすがにつらいが、こういう時は酒を入れた方が楽になる。渋谷、といえば勿論コレオス。ドライマティーニをぐびぐびと。流石に酔う。センター街の喧噪とはまるで無縁の別天地。来し方、行く末、あれこれと、想い巡らせポートエレン。今夜すべての東急は、銀河鉄道だ。リハとライブと酒の一週間の無事を祝って、乾杯。

10月14日

日暮里から浅草に出て、「うんこビル」こと朝日アートスクエアで「吾妻橋ダンス・クロッシング」を見る。面白かったが、かなりの割合でダンスじゃなかった。終演後マッハで浜松町に移動し、友人の結婚式の二次会へ。東京湾クルージング。非常に楽しい会で、最後はシビットと一緒にフリー・スタイルでお祝いを述べながら帰港。

10月13日

Superdelaxで11月12日にやるライブ告知の名前が「大谷脳生」になっているのを発見。「能夫」あるいは「熊生」というのはよく見かけるが(「熊生」は最初は確か弦人君のイベントに出たとき。その日は最後まで修正されなくて、進行表も「熊生」のままだった。「能」に足、はえてませんから!)これ、はじめて見るなー。多分「のうせい」と打って出したんだろう。マラリア患者みたいだ。おもしろいからそのままにしておく。この日は北千住の東京芸大キャンパスに大友さんたちのライブを見に行く。終了後、居酒屋で盛り上がっていたら、まるで当然のように終電を逃し、初対面の学生の部屋に転がり込んで泊めてもらう。朝起きたら母君が居て(たまたま上京していたそうです)にこやかに紅茶とサンドウィッチを出してくれたので恐縮した。ほうほうの体で退出。朝から日暮里をさまよう。

10月12日

音楽に関しては一番好きなのはモダン・ジャズと発言しているがGLAYなどJ-POPも好きだという、愛のままに我がままに僕は能生の青い朝顔。というわけでグラスドビアンド! 大谷能生です。能生なーりー。そいじゃ今日も行ってみよう、能生ダイアリーフロムベルギーウィズラフ。久しぶりに会った知り合いに開口一番「大谷さん太りましたね」と言われる。ショック。あまりにもショックだったのでうさばらしにコレオスに行ったら小娘がだらだらとカクテルを飲んでいたので少しお説教してから退店。駅前で偶然ちろみ君と会う。ちろみ君は右手の人差し指と親指でわっかを作りクイッとあおる仕草をしてから「どうです」という目をしてこっちを見るので、小指を立てて見せながら「いや、今日、これなんで」と言って逃げる。家に帰って原稿をオルガヌム、およびペイヴメントばりに頑張る。

10月11日

ところで皆さんは「ストーンローゼズゲーム」というのを御存知だろうか。ルールは簡単。ローゼズの再結成の年月日を予想して、内輪で一番近い人が金メダル、そうじゃない人は銅メダル!盛り上がるから絶対やってみて。

10月10日

12月リリース予定のソロ・アルバム「『河岸忘日抄』より」のマスタリングで武蔵小金井のSARA-DISCまで。横浜線で行ってみたのだが、もうこれは旅ですね。温泉に思いをはせる。マスタリングは順調にサクサクと終了。データを焼いているあいだ、リビングでピアノとドラムでセッション。帰ってきた小学生の娘さんたちが迷惑そうにしてた。その後、近所のYM氏に移動しだらだら飲み。万博の話になり、もちろんつくば科学博世代のわれわれはロボットに何をさせたら面白いかというアイディアを出し合う。クラフト・ワークを完コピ。深沢七郎の「紡ぎ唄」にフェイザーとピンポン・ディレイをかけたらE2-E4より凄かった。

10月7~9日

結構しっかり休んでました。7、8には山下公園であったワールド・フェスに行って飲み食い。9は横浜スタジアムで今期ハマスタ最終戦を見る。万永引退にホロリ。僕も13年間横浜一筋でがんばりたい。この三日で食べたものリスト。

  • イタリアのなんとかいうソーセージ
  • ベトナム風お好み焼き
  • ブラジル、フェダアージャ(だっけ?豆と豚モツ煮てご飯に掛けたやつ。好き)
  • 山形芋煮
  • スタンダード・ハンバーガー(並んでる最中に狂牛病の話をしてて店の人に微笑みかけられる)
  • 霧笛楼のなんだっけ、ポーク・ソテーみたいなのと、エビのグラタン?
  • 崎陽軒シュウマイ
  • せりと牛肉の炒め物
  • 卵焼き
  • 枝豆(以上、球場で)
  • もつ鍋
  • 明太子(居酒屋かめちゃんで)

あとなんだっけ。

10月3日~6日

POLITICO3sのリハなどいろいろあった。なんだけど、西武コミュカレ・キャンセルの件で自責の念に駆られ、仕事が手につかない。というほどでもないが、暗いです。「モラル」について再び考える。例えば、ポップカルチャーはいつだってその情念を拭い去ろうとする時はベルリンに向かうそうだが、ベルリンは迷惑しているのではないか?  これこそ「モラル」の問題なのではないのか。いやマジで。これだけは言っておくが、寿司屋でコハダ、サバ、アジを食べないぐらいなら、ハンバーグステーキでも召し上がった方がおためですよ。京極め、このごうつく爺め、何がルノワールだ馬鹿者。ヤミ米で儲けておいて何が「このじゅん菜かてなんや」だ馬鹿者。山岡もなんだ。栗田のおむすびに「30点」って何だ。「失礼」だよ。というわけでしばらく「モラル」、ひいては「失礼」という事について考えてきたわけなんだけど、こういうのって思春期の女の子に特有のはしかみたいなものだからもう寝ます。

10月2日

朝帰りな訳だが、今日は昼からマイミク、とりちゃん家で麻雀のお誘いを受けていたので、家帰って即効シャワーあびて着替えして日吉まで。途中で電話があり、とっくに始めているかと思いきやメンツ不足でまだ卓が立っていないとのこと。早足で部屋に入り、そのまま卓についてプレイ開始。メンツはとりちゃん、杉本拓氏、先週京都であったばかりのEVことかえるさんこと細馬先生。成績は23421で結局は+2ぐらいの2位。みんな思ったことを自動的に喋りすぎで、時々合唱と奇声も混じる。フリーダム。鉄格子を嵌めてみればそのままどこぞの施設関係の見本になるような会であった。途中から参加したモーリ嬢のmixi名が「のどちんぽ」なので、「ちんぽ、それポン」、「ちんぽ、リー棒リー棒」などと「ちんぽ」(あるいは「ちんこ」)連発。鼻かぜをひいてたEVさんの「そこの鼻紙とってください。レイ・ハナガミ」。リーチ後の「私の微弱なハートを語るのにふさわしい場所はオフサイトだと思うの」。「小西真奈美です。おつかれさま、ぐびだまどぼっ!」。「小西真奈美です。ぐびだまどぼっ!」(リピート。うるさい)。にゃんこ先生の物真似をしたままカンする杉本さん。興奮して立ち上がって指揮棒を振るとりちゃん。などなど。またやりたい。