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10月1日

それにしてもこの夏は忙しかったが、圧力鍋でほどよく柔らかくなっている鶏肉をモリモリ食べて乗り切りました。
サイゾーの連載も終わりという事で、イラストのちろみ君と中野ブリックにてささやかな打ち上げ。トリハイをがぶ飲み。酔ったちろみ君がどうしても見たいというので美紀ちゃんを呼び出す。バーに移動し、彼女にはフレッシュジュースを、僕らはキャプテン・モルガンをまたしてもがぶ飲みし(口中が甘い)、引っ越し前のちろみ君家へ。いつも通りがんばれベアーズなどのビデオを見ながら馬鹿話を始発まで。ジャッキー・チェンの話などしていたからか、帰り道、誰もいない早朝の早稲田通りでカンフーの真似事をしていたら、突然角から出てきた女性に見られてしまった。
駅に着き、中野方面へ帰る美紀ちゃんとホームでそれぞれ電車を待っている。どうやら下りの方が早く来るようだ。電車の到着を知らせるアナウンスにかぶせるように、彼女が言った。
「先生、人間はね、抵抗することが美しいのよ。抵抗することが人生なんです。死ぬまで抵抗しましょうよ」
僕は、世間の評判だとか、病気だとか、締め切りだとか、あるいは国家権力の圧力だとか、あらゆるものに最後まで、あきらめずに抵抗して自分を貫いて生きるのが、生物としての人間の美しさだというふうに聞いた。そしてそのとき初めて、レジスタンスという言葉の本当の意味を知ったような気がした。
電車に乗り込んだ彼女は、思いついたように慌ただしくカバンをあさり、中から一冊の文庫本を取り出して僕に渡した。「先生、これとっても面白いわよ、読んでみて」
古今亭志ん生の「なめくじ艦隊」だった。

9月30日

朝顔もまったく観察せぬまま9月も終る。これはかなりモラルに反した行為であるまいか。というわけで今日は「モラル」という事について書いてみたいと思う。
まずは、先般出版された「日本の電子音楽」の著者である川崎氏との初対面時の事について書く。この時のあれこれが、僕が「モラル」というものを考えだすきっかけになったと言ってもいいからだ。 いつだったか、おそらく数年前の事だ。それまでメールだけのやりとりであったのだが、研修のため横浜に来ているというのでニューグランドまで会いにいった。ところが、まず川崎の容貌。これがもういきなり失礼だ。「現音? グランジでも聴いてろ」といった具合に失礼なのである。「モラル」をはなはだしく逸脱していると言っていいだろう。これは一体どういう事なのか。実はそのとき川崎は前田(スモール・サイズ・ペンドルトン、前田興業)も一緒に連れて来たのだが、僕は最初前田を川崎だと思った程だ。二人を間違えたのは僕が原因だと言わんばかりの容貌で、議論以前に高みに立とうとするこういう姿勢がドナルド・キーンほど露骨ではないにしてもやはり不当であるように思う。
そして、前述したように川崎は前田も連れて来たのだが、これの失礼具合は言うまでも無いだろう。なぜなら僕は川崎と会う事を約束したのであって、それは決して前田と会う事を意味するものではないからだ。よって、来ただけでも「失礼」な前田なのだが、これまたその上容貌も「現音? ポジパンでも聴いてろ」といった具合に失礼なのである。失礼極まりないのである。前田は『僕、セントエティエンヌとかポップウィルイートイットセルフとか結構好きなんですよ』と言っていたが、これは「モラル」云々以前の問題であろう。その後、お互いに挨拶を済ませてからファミレスに入ったのだが、僕がアイスティを注文しているにもかかわらず川崎はラフロイグ(しかもカスク)をオーダーしたのである。この「失礼深度」もかなりのものだが、前田にいたってはヴァイオレットフィズだ。このオーダーは明らかに論理的正当性を欠いており、ファミレスにおける注文、すなわちオーダーのルールが確立され、スポーツ的に楽しく有意義なものとして広く認知されるべきだと思っている僕にとっては我慢ならない行為である。失礼この上ないと言えるだろう。 だが、「失礼」と言えば、西武コミュニティ・カレッジでの講義を延期した僕は皆に対して「失礼」であり、含み損をどんどん拡大させている嫁は僕に対して「失礼」であろう。いやもうだからさ、なんていうの、みんな「失礼」だよ!!
とにかくここで僕が言いたいのは「もっていくうた 」の「おいていくうた」、つまり失礼デプス(深度)はネオアコなんかにうつつを抜かしていた大学時代を切なく思い出してはキキとララってなんだっけ、そうそう例の学習机だよ、とかなんとか言いながらこの横浜で生きていくわけです。

9月29日

Esquire web で連載が始まりました。
http://esquire.bb-f.net/web/
BOOK246で毎月行っているレクチャーを編集した(自分で)ものです。第一回目は深沢七郎。原稿が長いので三分割して3週連続でお送りします。次回はボリス・ヴィアン。リアルタイム10月のお題はマルコム・リトルa.k..aデトロイト・レッドa.k..aマルコムX(ムスリム名:エル=ハジ・マリク・エル=シャバーズ)です。みなさまのご来場をお待ちしております。11月は宮沢賢治。もう9月も終わり、秋ですね。ベランダのプチ・トマトの蔓が凄いことになってる。

九月二十八日

伊勢佐木の有隣堂で東北地方の温泉ガイドを買う。昼の間は10月にある二つのバンドのライブ(politico3s、Unit Gramphone)のデモ作りをずっと。ところで今、将棋が流行しているという。それも、ヤングの間、中でも、女性に人気があるという。美紀ちゃんなんかもたまにネットで対局しているというんだから凄い。僕は常々、将棋は日本の国技であると思っている。もっともっと棋士を大事にしてほしいと事あるごとに言ってきたつもりである。そういうわけで、将棋が若い人達の間で流行していると聞いて、嬉しく思った。しかし、よく聞いてみると、どうもチョット違うんじゃないかと思うようになってきた。例えば、新入社員かなんかが残業を断る理由として、「今日は対局がありますから」なんて事を言うらしい。そうして、将棋をダシにしてデートなんかをする。そうこうする内にアタシと将棋とどっちが大事なの、なんて迫られて往生するなんて事もあると言う。また、履歴書の趣味欄に「将棋」と書いて入社した社員に上司が対局を持ちかけれると「僕、指せません」と言われたそうだ。ではなぜ履歴書に書いたのかと問うたら、ケロリとして「だってその方が就職試験に有利でしょう」。電車に乗れば女性誌の中吊り広告に「将棋ダイエット」なんて惹句が踊っている。いい加減にしろ!! とにかく、竜王戦の経過が気になりすぎて、まだ第一戦が始まってもいないのに日本将棋連盟のページをリロードリロードリロード。渡辺明竜王はこれからどうなるのか。夜、WOOLSのリハを終わって京浜東北線で家に帰り電気を付けると、いつもと部屋の間取りがちょっと変わっている。廊下がある。

九月二十七日

日電音編集部の川崎青年と、スモール・サイズ・ペンドルトンの前田君(前田興行)が来訪。新しい企画のお誘い。
「なにか、文学作品とそれにまつわる音楽を各回一つずつ取り上げる以外のものも考えてみませんか」
「いやあ、駄目だ。へたばっている」
「・・・」
「文学と音楽と場所をめぐるクロスポイント以外は何もやらないつもりだ」
「・・・」
「のんびりと暮らしたい」
なんだか二人がニヤッと笑ったように思われた。不気味だ。何かあるゾ。
「ご承知のように、無職で金欠だ。腹も出てきたし酒も弱くなった」
僕は、今年、サイゾーという雑誌の連載(「東京サーチ&デストロイ」)を六回で中止している。それに西武の講義も延期させてしまった。そうそう迷惑をかけるようなことはしたくない。恥をかきたくない。
「だから考えてきたんですよ。いやマジで」
前田君は以前、江古田に住んでいたのである。
「持ってゆくうた、置いてゆくうたの番外編として、温泉へ行っていただきたい。温泉へ行って、のんびりと静養してもらいたいんです」
川崎青年が後を続けた。なんだか二人組のテープ編集によるコンパイルド・ミュージックを聴かされているような気がする。
「番外って言ったって、結局は、演奏するんだろう。あと講義も」
「それはそうです。これからは松本日之春の時代です」
なんてことを言う。うまいことを言う。あとで一人になったら、松本日之春の時代? いくら考えても何のことかわからない。
しかし、僕もこういう企画は、嫌いな方ではない。いや、好きな方と言ってもいいかも知れない。悪ノリしてしまうことにした。温泉、おおいに結構じゃないか。

九月二十六日

横浜に帰って心機一転、日記もガンガン書こうと思う。
まず、生きるに能う、という言葉を逆にしてみる。ほら。というわけで大谷能生という名前について、出来るだけわかりやすく解説していきたい。
第一回目の今日は、「大谷能生の作り方」について話していきたいと思う。能生というキャラクターの設立は、その設立を企図した嫁が中心となって実行されるであろう。現行の能生では発起人は一人であってもよいとされているが、通常は八音平均律音階の調性確立を目的とする数名のものが集まってその共同作業によってなにかの蔓を桟に絡ませるのが美しいとされている。
と、ここまで書いてきたら細かい結界のサインの影響がまだ続いているの偏頭痛が。閑話休題。こないだから美学校の講師をしているんですが、生徒の中に沢尻エリカクンに似た激マブ娘がいるんですよ。名前は美紀ちゃん。先日ワゴン・クライストのTシャツを着ていったら、その娘が「あ、先生もテクノとか聴くんですか」と話しかけてきて、「ルークってさー」とか言いながら無造作に私のシャツを叩きまくってきたので恐怖を感じて教室から退出。その後気を取り直して美学校の喫煙室で彼女と音楽談義しました。「4ADだったらDead Can DanceとWolfgang Pressが好きでしたね。それにしても23エンヴェロップのデザインは良かったですよね。23のカレンダー欲しかったんですよ。ジスモータルコイルもいいですよね。エコバニはねぇ、Korova時代もいいですが、ってもオーシャンレインまでかな、Zooが好きなんですよ。Someone Stole My WheelsとThere Must Be A Better Lifeしか聴いたことないですけど、こんないい曲書けるのはラバーソウル時代のビートルズとヴィレッジグリーン時代のキンクスぐらいのものなんです。でもってやっぱり赤、黄、ペンギンときて1stときたライド衝撃は今でも忘れらません」などと一人で喋りまくった後に、「ほんとにあの頃のマイブラやライドやローゼズやシャーラタンズやペイルセインツは輝いてましたね、先生」と言って去っていった。
そんな事もあり彼女と親しくなり、部屋に遊びに行ったのだが、その部屋はコロコロコミックとコミックボンボンが創刊号から全て山積みにされ、残りのスペースにアナログシンセと12インチの山が築かれていた。彼女は作曲もしているらしく、少し聴かせてもらったのだが、クソみたいなガバでした。

九月二十五日

昨日の最終日打ち上げの店(名前失念)は、これぞ町屋風の高級居酒屋。豆腐が旨い。超絹漉。お酒は英勲で。せっかくだから珍しく吟醸を飲んでた。深夜に酔っ払った細馬宏道さんが宿舎にいらしてくれた。昨日携帯の番号を交換したばかり。談笑&酩酊中、その隅に電子ピアノを発見。すかさず電源を入れて、適当な歌本を広げてばんばん頭から伴奏を勝手に弾いてゆく。細馬さんはさすがによく歌詞を覚えていて歌も上手い。ユーミン大人気でリクエスト多し。ふたりで朝方までやりました。ソファで昏倒。朝方、無言の挨拶の気配に飛び起きると、窓の桟には朝顔が咲いている。ということでほうほうの体で横浜に戻り即座に熟睡。
以上、大谷熊生の朝顔観察京都日記でした。

九月二十四日

主のいない部屋はガランとして、コロコロコミックとコミックボンボンが少しほこりをかぶって いた。見たところ1000枚以上あるCDやレコードは、アルファベット順にきちんと整理されていた。 Nのところを見る。また買ったのだろうか、棄てたはずのニュー・ファッズのCDが、マイブラと ニューオーダーに挟まれて並んでいた。机の上には、イシモトさん、タツヤ氏とともにトラやん の前でポーズを決める能生の写真があった。きっと豊田市美術館の時のものだ。やっぱり、真ん 中だ。太陽みたいな笑顔を見せている写真の中の能生に向かって、「来年、ATR来日するみた いだよ」とつぶやいて、僕は写真立てを倒した。と、ここまで書いてきたが実は部屋に入ってき て最初にした事がある。僕は真っ先にレコードプレーヤーを調べたのだ。ブラームス。

学園祭で一週間ほど休みになったので東京の実家へ帰った。天気のいいある日、ele-kingの新し いのとパンとジュースを買って北の丸公園へ行った。配達系、を見て少しニヤリとしたけれど、 それはすぐに泣き笑いみたいな感じになった。出来るだけ無表情でいないと駄目みたいだ。やめ ておこうと思ったのにやっぱり足は駿河台の方へと向かった。明大を左に坂を昇る。信号が赤な ら曲がろうと決めた。しかしながら信号の神様は僕に青の審判を下したので、僕は山の上ホテル には行かずにすんだのだ。次の関門はディスクユニオンだが、ここはCDを買うという言い訳が用 意してあるので、すんなりと入店だ。トータスのリミックス集には今度は「未来派テクノ・オヴァ ルのリミックスも収録。ポスト・ロック・ミーツ・ポスト・テクノ!!」とコメントが貼ってあっ たので、ビリビリと破いてやった。店員に怒られた。能生はとても変わった所のある人だったか ら、きっと大変だったろう。

そしてもちろん、僕は能生の肩を持つ。

九月二十三日

賀茂川が分岐するところまで自転車で北上して、その後に街中をぐるぐる回って宿まで戻ったら、多分細かい結界のサインの影響を受けすぎて偏頭痛が。霊場は鎌倉より隠微かつパワフルな印象。長くいると結構しんどい。よそ者は同じ道ばかり通るようにナビゲートされているような街の造りだ。朝はフランソワ喫茶室で紅茶。カルバドスを垂らしてからいただく。タイトなシルエットの白いレースの襟がついたグレーとスカイブルーの中間色のワンピースを着た店員を眺めているうちに、今回の公演は「抽象再訪」という企画の一環であるからといって、舞台は完全な抽象ではなく当然具象に満ちているわけであるから、音楽に具象の要素を導入することを決意する。二鶴に戻り八音平均律音階による電子音で現実音を模倣し、セリーを導出して昨日作曲したミュジーク・コンクレートとミックスして再構築。本番にどうにか間に合う。武満徹へのオマージュ。電子音と現実音を使用したからといって、それは電子音楽とミュジーク・コンクレートの融合にはならないことが露呈したわけだが、聴感上は昨日までの音とまったく違いはないので、誰にも気づかれなかったようで安心する。昼は大丸地下で松茸弁当(包装がゴージャス)と錦市場で豆大福と栗大福(しょっぱくて旨い)。本番終了後、開放的な気分で仏教書を探すついでに三条寺町の有名な民族楽器専門店に行ったら、改装したのかな、すごい綺麗になってて、ちょっと拍子抜け。でもさすがの品揃えだった。「叩く時は一言声を掛けて」と注意書きがあるジャンベなどを、「これさー」とか言いながら無造作に叩きまくる馬鹿カップルが入ってきたので恐怖を感じて退出。本能寺の「能」の字が、なんかちょっと違う書き方だったのは目の錯覚か。絡まっている蔓にいくつか蕾のあるのが見える。

武満論考が掲載されたムック、23日の時点でもう書店に並んでいるようでした。以下データを記載しておきますのでご高覧賜われれば幸甚に存じます。

青山真治、大友良英、大谷能生司会.<対話>あの独特の音世界は僕らのなかに刷り込まれている.
◎Kawade道の手帖 武満徹.河出書房新社,2006/09:80-96.

大谷能生.<論考>現実、ぼくの唇が火傷しないのがむしろ不思議というべきだろうか。ミュジーク・コンクレートとシュルレアリスム.
◎Kawade道の手帖 武満徹.河出書房新社,2006/09:98-105.

あと、オーディオ・コメンタリーで参加した冨永昌敬監督のDVD「シャーリー・テンプル・ジャポンpart1&2」が9月30日にリリースされています。30男二人で本谷有希子さんを悪女にしたてようと悪い話を振りまくる邪悪な座談会。

九月二十二日

朝は六曜社で珈琲。修さんが淹れてくださった珈琲をゆっくりと味わううちに、今回の公演は「抽象再訪」という企画の一環であるからして音楽も抽象でやろうと決意する。二鶴に戻り素材とその結合をミュジーク・コンクレートに再構築。本番にどうにか間に合う。大急ぎで芸術センター内の前田珈琲で、ナポリタン(付いてきたサラダのマッシュポテトが美味しかった)。パーソナルな意味しか持たない音の意味的属性を剥ぎ落としていくと、その音は楽音へと変貌してしまう。図らずもドレミの外ではなにもできないということが露呈したわけだが、聴感上は昨日までの音とまったく違いはないので、誰にも気づかれなかったようで安心する。浅田彰さんが卓のすぐ右前にいらっしゃった。時折口元に手をやりながら真剣に鑑賞していらっしゃる。前よりはお気に召していただけた模様。最終的には徒労だと思う。開放的な気分で磔磔に向かい大友さんに挨拶。初日打ち上げは「円や」というところ。吉田屋は大友さん組の予約で一杯ということで入れず! でも美味しかった。鱧落とし、おでん各種、お刺身など。問い合わせの電話が二件。海老炒飯を薦めておく。三条ARTCOMPLEX地下のカフェ・アンデパンダンは、前回来たときとまったく変わってなくてよかった。空揚げ、フライドポテトなど。奥のパララックスでリュック・フェラーリなど衝動買い。いいお店です。宿舎であるAIRの一階には広いリビングがあって、初日終わってみんなで談笑&酩酊中、その隅に電子ピアノを発見。すかさず電源を入れて、適当な歌本を広げてばんばん頭から伴奏を勝手に弾いてゆく。役者さんたちはさすがによく歌詞を覚えていて歌も上手い。スピッツ大人気でリクエスト多し。朝方までやりました。就寝前ふと窓に目をやると、なにかの蔓が桟に絡まっている。